のらてつの雑記帳

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noratetsu 2023/04/17 (月) 12:07:56 修正
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    noratetsu 2023/04/17 (月) 12:11:21 >> 1

    「知をわたる」とは、さまざまな知を渡り歩くことです。知の散策、知の散歩。ときにそれはショートトリップであったり、長期旅行であったりもするでしょう。不遇にあって知の亡命を行うこともあるかもしれません。ともかくそれは移動することです。移動しながら、そこにある知を味わっていくことです。

    知るためにあちこち渡り歩く、というのはメタファーとして珍しいものではないような気がするのに、どうしてか「そうか」と感じた。
    「知りに行く」は既にあったイメージなのに、「知の移動」となると「知の!移動!そうか!」という気持ちになる。

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    noratetsu 2023/04/17 (月) 12:19:50 >> 1

    どこの筋肉をどのように鍛えたいのかがわからなければ適切な筋トレメニューが組めないように、自分の知りたいが曖昧なままではそれ以降の知る行為も漠然としてしまいます。
    だからまず、自分の「知りたい」を認めましょう。それは存在してもよいのだと受け入れ、それがどんな形をしているのかを見つめましょう。自分の知りたいを肯定するのです。

    「自分は○○を知りたいと思っている人間でありたい」みたいな自己像があり、ずっとそれに縛られていたけれど、多分本当に自分が知りたいことは自分が思い描いていた「○○」とは全然違うんですよね。
    博覧強記な人は素晴らしいと心から思っている。自分がそうであったらどんなにか素敵だろうと思っている。が、本当に博覧強記になりたいのかと言うと、多分どうでもいい。それが己の実像だということを認めるまでに結構かかっている。
    自分が見つめるべきは、「博覧強記」的イメージの領域ではないのだと思う。持っている知識が絶対的に広くて多いことは大事だという思いは持ち続けながらも。
    というか、どちらかというと自分のための「知りたい」を追究した先に、博覧強記の道が繋がっているのではないかとも思う。