(壱の続き)
「はは、俺のことだな!俺は利玖。ここで居候してて、暇なときは大体ここにいて、人々の悩みや相談に乗る、心優しき────」
「馬鹿だ」
店全体に響くような大きな声で得意げに自己紹介を始めた半袖シャツの男────利玖のセリフに、白羽が被せるように言った。
「ひどいこと言うなよ白羽~。俺とお前の仲だろ」
「最初は近所のお爺さんの家出した猫探しだったんだが、いつのまにか噂が広がって、こんな風に大きめの話まで来るようになった。しかも何故か俺に」
軽口を叩く利玖をスルーして、白羽が言う。普段は人の話を最後まで聞く白羽にしては珍しい行動だ。
「俺としては迷惑もいいところだ。威力業務妨害で訴えてやろうかと思っててな」
「ひぇっ」
辛辣な言葉を並べていても、白羽がそれを本気で言っているのでないことは、その表情を見れば幹斗でなくとも容易に分かるだろう。どうやら、この利玖という男と白羽は随分親しい関係のようだと幹斗は感じた。それを少し面白くないと思う自分を頭の隅へと追いやって。
割り切れない笑みを浮かべる幹斗をおいて、白羽は
「まあでも、そこのコンビニの店長が、不良がたむろするようになったって言う時期と重なるし、多少は動いたほうがいいかもな」
とひとりごちる。
かつかつかつ、と早いテンポで階段を叩く音が聞こえたのは、その時だった。
音がして間もなく、店の扉が勢いよく開く。扉の奥から現れたのは、三人と同じくらいの歳の女だった。肩までの黒髪をストレートに垂らし、髪の黒色と対照的な白を基調とした服を着こなす、整った顔をした小柄な女は、幹斗の目を引き付けるには十分な魅力を持ち合わせていた。
「エチオピアをフィルターでいただけるかしら?」
「かしこまりました。550円になります」
高めの声音で優雅に注文を済ませると、女は流れるように次の言葉を繋ぐ。
「ツケといて頂戴」
「いやどこに」
間髪を入れずに白羽が真顔ででつっこむ。
「いいじゃない、居候させてやってんだからツケぐらい。なんなら私の可愛さに免じてタダにしてくれてもいいのよ」
「こっちも商売なもんで。ちゅーか、なんで値引きを目論む人がそんな上からなんですか」
急に低めの声で女は白羽と会話を交わす。幹斗はひとまず、後からの方が彼女の素だろうということと、彼女がこの建物の所有者、あるいは関係者だろうということを把握した。なんだかんだ言いながら、バッグから財布を出しながら女は応える。
「はぁ。あんたは相変わらずケチね。550円ね────ってぇ!ここのコーヒー、一杯450円でしょうが!なんでさらっと100円多くかっぱらおうとしてんのよ!」
「あ、ばれたか」
「ばれたか、じゃないわよ!まったく────」
言いあうふたりを尻目に、見飽きた光景だと言わんばかりの顔をして、利玖がその場を離れる。自らの席に戻る途中で幹斗の横に止まり、幹斗に話しかけた。
「あの人は
「なるほど。というと、彼女が白羽の大学の友達ですか?」
「いや、それは弟のほう。俺とそいつと白羽が大学の同期。あ、俺バイトの時間近いしお暇するわ。それと、俺ら同い年だろうしタメ口でいいよ、幹斗クン。じゃあな!」
「・・・」
立て板に水にそう口にすると、幹斗に口を挟む隙すら与えず、自席にあったスマホを取ると、まだなにやら言いあっている白羽とふゆと、手持無沙汰な幹斗を置いて、足早に店の出入り口とは違う扉の奥へと消えていった。ここに居候していると言っていたし、自分の部屋に行ったのだろうか。幹斗が呆気にとられていると、
「あなたが白羽のお友達?可愛い顔をしてるわね」
いつのまにか近付いていたふゆが、幹斗に話しかけた。赤っぽい色の目が幹斗を覗く。しばらく男ばかりの職場にいる幹斗は、久しぶりに女性と話すことに緊張しながらも、会話に応じる。
「あ、はい。はじめまして。未井幹斗といいます」
「こちらこそはじめまして。麻澤ふゆです」
綺麗な笑顔でそういうものだから、なおさら幹斗の心臓は早鐘を打つ。
「俺の大切な友達なんだから、食おうとしないで下さいよ」
「そんなことしないって。私のことなんだと思ってるのさ」
カウンターの向こうで食器を動かしながら、白羽が軽口を挟む。
「なんでしょうね?はい、できましたよ」
そう言いながら、てきぱきとした手つきで、コーヒーカップをカウンターに差し出す。
「はぐらかすなよ・・・。カップは後で返すわ」
「了解です」
「幹斗くんも、また会いましょう」
「あ、はい」
呆れたような声でカップを受け取ると、ふたりを一瞥してから、ふゆは利玖が消えていった扉の向こうへ去ろうとする。しかし、ふと立ち止まってこちらを振り返った。
(壱の続き)
「そうだ、さっきおばあちゃんがお辞儀しながらこの店を出るのを見たわ。あんたら、また変なことに首突っ込もうとしてんじゃないでしょうね?」
「ご想像にお任せしますよ」
「────ったく。怪我はしないでよ。いちいちあんたらの治療とか看病すんの、面倒なんだから」
トゲのある事を言っていても、彼女の目はとても優しげで、本気でふたりを心配している事が幹斗にも見て取れた。そこまで言うと、彼女はすぐに前に向き直り、扉の奥に消えた。かつかつかつ、というヒールの音がフェードアウトする。店は、幹斗と白羽のふたりのみとなる。
「すまんな。騒がしくて」
「いやいや、明るいのはいいことだよ」
幹斗は白羽にそう返すと立ち上がり、空になったコーヒーカップと皿を持ってカウンターに歩き、白羽に返す。
「もっと話してたいのは山々なんだが、そろそろ集合の時間なんだ」
左手首に巻いた腕時計の文字盤を見ながら、ペアを組んでいる組織犯罪対策部の刑事の言った、休憩後の集合時間を思い出す。あと15分ほどだった。
「そうか。がんばってな。また来てくれよ」
「ああ、勿論だ」
白羽は幹斗から受け取った食器を洗いにかかりながら、幹斗は椅子にかけたジャケットを腕にかけて、出入り口に向かいながら、会話を交わした。言葉数は少なかったが、ふたりにはこれで十分だった。また会える。また話せる。そのことを思えば、余計な言葉は不要だった。
外に出て、背後で扉の閉まる音を聞き、幹斗は空を見上げる。
鮮やかな色を纏った雲が浮かんでいた。
高い空に輝く太陽は、やけに柔らかな光で幹斗を包んだ。