『悪心』
申した、申してない、やった、やってないと始まる争いほどくだらぬものはありませぬ。
残念なことにこの世界の争いというものはほとんどが是なのでございます。
なぜそんなくだらぬ争いをするのかと聞いてみれば何も答えは帰ってこないのです。
更に言えばこの咳は厄介なことに伝染していくのでございます。
人から人へ人から人へ。これほどまでに呆れぬものはありませぬ。
ただ五月蠅いだけならよいのですがそれを人にまで感染させるという迷惑さ。この咳はほんとに救いようがないのです。
私は争いの意味を問いてみれば分からぬと逆に怒られる始末。何が理由でこんなにも人は短気なのか。
ひとたび街に出てみればそこらじゅうにわいている菌が目に見えるのです。この菌に感染してはいけません、いけません。
この菌は一度でもかかれば溶けかけた氷のように、落ちたグラスのように、もう元に戻すことは出来なくなるのです。
心には扉と閂がついております。使ってはいなくても必ずついているのです。
使っていなかったら心の水に侵され木は腐るのみでございます。
どうか、どうかその扉と閂を使い水を食い止めなされ。どうか食い止めなされ。
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失墜
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凍結されています。
『虚しき心』
自分の意見を申してみれば異なる意見に批判され、ではこうかと変えてみてもまたまた違うと批判される。
この様なことを何度か見かけることがある。
ああ、虚しさや。其の心の意図は何なのか。
他のものに媚び売り意見を曲げる其の心を教えてくれ。異なる意見の者を批判するその心を教えてくれ。
その空虚なる心の中身はきっと水も蒸発してしまったのだろう。
わたしはその枯れた心に水を与えてやるのだ。そっとそっと。
一見わたしは毒を与えてるように見えるだろう。
わたしはその枯れた者に水を与えてやるのだ。
『執筆家』
わたしは執筆家だ。執筆家と言われているが所詮脳内の奥と会話をしてその内容をただ紙に書き綴る翻訳家のようなものだ。
元々なりたかった訳では無い。ただ我武者羅に現実から逃げていたら気がつけばこの位置に立っていただけだ。
今の仕事に満足しているかと問われれば素っ気ない回答が飛んでくるだろう。なりたかった訳では無いのだ。
元々、富士に登るつもりもなくただ歩いており気がついたら山中に立っていた男なのだ。ここまで来たことには感動も意気込みもほとんどない。
執筆活動とは脳の中に溜め込んだ余り物を外に吐き出す排泄の一環だろう。定期的に行う理由もそれが理由だ。排泄ひとつひとつに別段深いわけなどなかろう。
執筆家とは常軌を逸した性癖の持ち主だ。自分の排泄物を見てもらうだけにとどまらず自分でマジマジと見てそれに興奮し快感を覚えるのだ。なんておかしな人種だろうか!
だが執筆家はそれでいいのだ。それが仕事なのだ。それしか出来ないのだ。
『創作』
創作をするということは頭の中のもうひとつの世界へ行くということだ。わたしはそれが苦手である。現実を現実としか見られずそのひとつの世界を様々な視点で見ることしかできぬ。
ものを書くという作業の中でその遮りはとても邪魔になっている。自分だけの世界に行く道を遮られてしまって行くことをできぬ私は今いる現実を見るしかできぬ。
その分現実を見る目だけは長けていると自称している。そんな力使えることのほうが少ないのだが、幸いこの「書く」という作業の中では役には立っている。
だが、意気込みのみあれど紙の前に向くと筆が進まないことも充分にある。いや、ない方が珍しいだろう。独自の世界へ行けないからだ。自分で物事を創り出せぬ。
独自の世界の豊かさは心の豊かさだろう。その世界を露わにし、他人と比べるためにも小説というのは存在しているのではないか。
わたしは頭の中を見ることはできず聞くことしかできないのだ。わたしは奥に行くことができずに大声を叫ばなければならないのだ。
『集団心理』
予知せぬことはいつも人を驚かせます。人とは先を予測して生きる生物なのです。
わたしは失望してなりませぬ。なぜ人とは次の物事しか考えることができないのか。なぜ人とは今を楽しみ考えることが出来ないのか。私は失望してなりませぬ。
そっと人に問うてみれば人々は皆、急がねばならないと申すのであります。
それを聞き、はぁと納得のない返事を言ってみれば何が不満なのだと怒られる始末でございます。
洗脳でもさせられているのでしょうか。皆、同じ考えを持っているのであります。洗脳でもさせられているのでしょうか。皆、同じ心を持っているのであります。
その心の共鳴は抑えても鳴り止まないのです。せっかくの個々の音がその共鳴によって聞こえなくなってしまってるのです。
挙句の果てには個々の音を持たぬ者もいるのです。
人間の生まれてきた意味とは何でしょう。何でしょう。
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