喧嘩をする際に、「相手の持論に対して否定したい」「論破したい」「マウントを取りたい」のどれかの意識はあると思うんだけど、それっていわゆる“目的”であって、その目的が満たされていない事を「解決」する為に、喧嘩師は思考をする。
その、様々な「解決案」の中から良いものを選択するセンス
「解決案」に辿るまでの歩き方
というのも存在していて、
これをもっとミクロな視点で観察すると、
目的地点で待ってる支配人になにを渡したら喜ぶのか「喜ばせる為にはどうすればいいのか」その「喜ばせる為」という目的を満たす為に石ころを拾ったりもする。
ようは、「解決案」という目的地点に着くには色々な歩き方があり、着いた先でいかに良いものを「支配人」に渡すことができるかで「解決案」の完成度ってのは左右されてくる。
そうして、支配人の審査を通過して、やっと「反論」という箱に入れられ、包装されて、掲示板のコメントとして残して、相手に届く。
まぁ本当は次に比喩から外れた「説明」をしたほうがいいんだけど、まぁでも以下で大体は把握できると思う。
・支配人=論理性の正体
・解決案=論理
・石ころ=論理の前提条件だったり、論理を構築させる為のもの
一文に「まぁ」って連続して入れんなよ。
そういう口癖からお前の自信のなさがわかるよ。
正直自分でも何言ってっかわかんねーってツラしてんな。
お前の物語に終止符打ってやるから死ねや。
ありませんよ。自分の意見と照らし合わせ、違っている部分に関してこれは違うよとするだけですよ。「論破したい」ではなく「論破してしまう」が正しいんじゃないですかね。喜ばせるとしたら、相手に間違いを教えてあげた、という意味でしょう。相手の利益になるのだから相手は喜ぶしかないわけです。
ぽかぽか陽気のなか、草木の香りをかぎながら、ふわふわと歩くひとりのおんなのこがいました
道ばたに咲いていたシロツメクサの花をつみながら、鼻歌をうたっています
「お花のかんむり、よろこんでくれるかしら?」
そんなことをつぶやきながら、あるおとこのこを思いえがいていました
カッコよくて、やさしくて、いつも着ているあおい服がとても似合っています
おんなのこは顔を赤らめながら、しろい花を、手にさげていたカゴに入れました