大動脈解離を語ろう掲示板

あれから10年

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2012年9月、62歳の時突然大動脈解離スタンフォードA型を発症し、この9月で10年がたち11年目を迎えますが、まだ生きています。1昨年は2ヶ所人工血管に置換手術を行いました。

2012年9月2日昼食後急に気分が悪くなり、どうにもたまらず家人に救急車を、呼んでもらいました。背中のあちこちが痛く、泣きたい程でした。車の中で妻は、救急隊員から、病院まで持たないかもしれない。覚悟するようにと言われたようです。病院に着き、ベッドにのせられ、CT検査を受け大動脈解離と診断されましたが、ここでは手術出来ないとのことで大学病院に転送されました。人工心肺で胸を広げ、約13時間の緊急手術を受けましたが、その際もダメかもしれない親しい人を呼ぶように医師に告げられたようです。意識が混濁している時に不思議な光景を目にしました。それは川で5メートル幅の川のこちら側に渡し船が止まっています。これが三途の川と判りました。船には既に5、6人乗っていました。渡しの受付人が3人いました。そのうちの1人は孫悟空に出てくる緒八海 (ちょはっかい)にそっくりです。あとの2人はよくわかりません。怖いので遠くからみているだけで、近づきませんでした。眺めながら、しばらく歩くと今度は橋がありました。丁度、伊勢神宮にかかっているねぎ坊主のある、立派な橋です。橋を渡りかかると、緑色の雨が降ってきました。お日様が出ているのに、雨が降って変だなあと思いました。雨にあたり、濡れているはずなのに、体は濡れていません。橋の向こう側につくと大きなお経の音が聞こえてきました。これまで手術や人工呼吸で寒かったり、苦しかったのですがそこは、寒くも苦しくもありません。ああこれがあの世かと思いました。これだったら、あの世にいってもいいなと思いました。その間生まれてから、これまでのことが走馬灯のように何回も頭の中をぐるぐる巡りました。ああ人はこうやって死んでいくのかと思いました。死ぬ前に欲しいものは一杯の水です。欲しくて欲しくてたまりませんがどうにもなりません。これが末期の水か、人は死ぬ前に水が欲しくなるのかと思いました。医師の意識確認の声で気づきました。私はその時、気に入った靴や時計、少しのお金を持っていきたかったのですが叶いません。この経験を経て、ああ人は、裸で生まれ、裸で死んで行くのだ。名誉や地位やお金や、財産はいくらあってもこの世限りのもの、たいしたものではないと思う様になりました。欲が薄れ。何でも許してしまう、寛容さが増してきました。これが私の経験で、機会あるごとに伝えています。これからも生きていきます。来年は1ケ所手術予定です。これで述べ4回目です。コロナが終わるといいなあ。

はち
作成: 2022/08/14 (日) 14:53:32
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