④
「………うどんの買い置きは無かったはずだから十中八九お粥で来るとは思ってたけど。なるほどこうなったか」
ベッドに横になったまま半身だけ起き上がった百合先輩が唸った。手にした茶碗から漂う香りを嗅いでのご感想である。
「鶏ガラスープと香り付けのごま油で中華風のお粥にしてみましたけど、好みじゃありませんでした?」
「ううん。でも十影くん、どっちかというと洋風派じゃない。
だからリゾットを作ってくるんじゃないかなって予想してたから、ちょっと意外だっただけ」
そんなに洋風の料理ばかり作っていただろうか。和洋中、なんでも作るつもりでいたが、言われてみるとそんな気もしてくる。
トレーを小脇に抱えたまま、俺はそっと百合先輩の様子を伺った。相変わらず気怠そうで復調したようではない。
ただ、パジャマを着て萎れている姿はなんというか………普段の百合先輩にない魅力があるのを否めない。
今更だがここは百合先輩の寝室なのだ。そう意識すると、なんだか無性に背中がむず痒くなってきた。
「まあ、今回はこんなふうに仕上げてみました。口に出来るだけでいいので食べてください」
据わりの悪さを誤魔化すように俺は百合先輩に匙を渡す。
百合先輩は掬った匙の上の粥をしげしげと見つめた後、おもむろにぱくりと咥えてみせた。
「あむ………」
もそもそといつもよりスローペースで咀嚼している。その口角が食べるのと同じくらいゆっくりと上がっていった。
「………ん。なんだか優しい味がするね。そんなに濃い味付けじゃないけど、生姜の香りがよく効いてて美味しいよ」
「良かった。素直に塩味にするか迷ったんですが、薄めに整えれば食べにくいって程にはならないかなって」
「うん。このくらいなら大丈夫。喉に引っかかるようなものも無いし………。ああ、この歯ごたえ。ささみ使ったんだ」
「冷蔵庫に入っていたんで使ってみたんですけど、使う予定があったならすみません」
「ううん。特に決まってなかったからいいよ。………ふふ。丁寧に細かく裂いてある。
私、十影くんの料理好きだな。食べる人のことを凄く考えて作ってるよね、いつも」
「………ど、どうも」
先輩がやけに素直な褒め方をするものでつい返事が吃ってしまった。
普段ならここでワンクッション置いてからかったり冗談を入れてくる。なんだか本当に別人みたいだ。
百合先輩は時折ちらちらを伺いながら匙を往復させて粥を少しずつ口にしていった。
食欲はきちんとあるようで安心する。あんまり食べても身体に毒だが何も胃に入れないのも不健康的だ。
「十影くんはお昼どうするの?」
「まだ少し鍋に余っているので洗い物ついでにそれを食べます。ちょっと足りないようなら帰って何か摘もうかと。
先輩が休んだら一旦うちに帰りますけど、また夜来ます。その時はセイバーを連れてきますね。男手だけだと、その、不便ですから」
風邪を引いた時は風呂に入ってはいけないというのは迷信でぬるま湯に少し浸かるくらいなら問題ない。
その方が汗を拭くより身体も綺麗になって気分の晴れやかさも違う。とはいえ介助の手はあった方がいいだろうし、それなら女手が必要だ。
かちん、と音がした。茶碗の底に匙が置かれる。百合先輩は綺麗に粥を完食し、ふう、と息をついた。
「全部食べちゃった。口にするまでは半分くらいしか食べられないかなと思ってたけど、ここは十影くんの料理の腕を褒めておこうかな。
ふわ………なんだかお腹一杯になって薬が効いてきたら眠くなってきちゃった………」
茶碗を俺に渡してコップから水を飲んだ百合先輩が脱力してぽすんと上半身をベッドに預ける。
言葉通りその瞼は既に重そうで、とろとろと鈍くまばたきを繰り返していた。
「先輩、薬飲んだんですか?」
「十影くんが料理している間に家伝のをね。あれを飲んで一晩もすれば明日の朝にはいつも通りだよ」
栗野家の家伝の薬というとあの苦いんだか痛いんだか分からない味のアレだろうか。経験者としてはぞっとしない。
瞳を半開きにしてうつらうつらと眠たそうな百合先輩の横で椅子に座り直す。眠りにつくまではここにいることにしよう。
そう思って百合先輩の横顔を見つめていたら、ふいに先輩が首を傾げて俺の方へぼんやりとした視線を送ってきた。
「………あのね、十影くん」
「なんです、先輩」
百合先輩は表情を緩めてふにゃふにゃの笑顔を浮かべた。弱々しくて、だからこそ鼓動が跳ね上がるような可愛い微笑みだった。
「十影くんが背負ってくれた時ね。
思ったより広い肩幅なんだなぁ、とか、見た目より筋肉がついててがっちりした身体なんだなぁ、とか。
十影くんが男の子なんだなぁ、って実感して、凄くドキドキした。格好良かったんだ………」
―――百合先輩が寝息を立てるまで、顔の火照りを冷まそうと水差しからコップに3杯ほど水を飲んだが、全く効き目がなかった。