kagemiya@なりきり

十影さんちの今日のごはん / 26

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「」んかくん 2020/07/16 (木) 23:13:25


「油断した………。このところ忙しかったせいですっかり気が緩んでた………。
 魔術刻印の周期が合わないのなんて普段なら少し休めば回復するんだけど、風邪気味だったところにダブルパンチで来られるとね………」
「びっくりしましたよ。突然倒れるんですから。たまたま俺が一緒にいて良かったです」
「………確かに、そのあたりの事情に通じてる十影くんが近くにいたのは不幸中の幸いだったかな。
 他の人が見たら大騒ぎされちゃいそうだし。………でも、お店開ける準備しなきゃ………」
そう呟きながら、百合先輩が身体を起こそうとしてベッドに手をついた。
しかし、力を込めてもぶるぶると腕が震えるばかりで起き上がることが出来ない。これでは立ち上がれもしないだろう。言わんこっちゃない。
「駄目ですよ。今日は臨時休業です。シャッターにも張り紙しておきますからね。先輩が嫌って言ってもそうしますから」
「トカゲくんの意地悪」
「何とでも言ってください。あとトカゲじゃなくてトエイです」
恨みがましい視線を百合先輩が向けてくるがきっぱりと撥ね付けた。駄目なものは駄目でござる。
こんなグロッキー状態で店の仕事なんてされたらこっちこそたまったものじゃない。何にも手がつかなくなること請け合いだ。
ややあって諦めたのか、ベッドに体を預けた先輩が自分の腕を撫で回した。
そこには栗野家の魔術刻印が刻まれている。その家の研究成果を回路の刻印として子孫へと受け継ぐもの。
魔術師にとっては最大の家宝であると同時に呪いでもある。宿主との波長が合わなくなるとこうして体調を崩したりもするらしい。
「………仕方ないか。ごめんね十影くん、迷惑かける」
「いいですよ。こんな時くらいちゃんと大人しくして身体を治してください」
「………ぁ」
言い含めながら百合先輩の額に手を伸ばして触れる。驚いたように先輩が小さく呻いた。
やはり熱がある。決して具合は良くなさそうだ。いつもの気丈さを全く喪失した、力のない眼差しがぼんやりと俺を映していた。
「ひとまず制服から着替えたほうがいいですね。汗も拭かないと。あと必要なものは………」
「十影くん」
「はい?」
「だから、着替えたいんだけど」
百合先輩の頬が赤かったのは、風邪による熱のせいだったのか、それとも恥ずかしかったからか。
ここで慌てて出ていこうとしかけた俺の心が踏みとどまったのは、そう言って俺を見る先輩の元気の無さに不安を感じたからだろう。
「………手伝いましょうか?」
自分でも言っていて顔が熱くなるのを感じたが、さっきまであんなにふらついていたのだ。着替えるだけでも一苦労かもしれない。
そうしなければならないほど百合先輩が弱っていたとしたらそれこそ恥ずかしがってなんていられない。
しかし邪念が無いとは言い難い。ただでさえぐったりとした百合先輩は却って色気が増していて目に毒だ。
俺は余所見をしたまま百合先輩を着替えさせられるだろうか―――
「………じゃあ、お願いしようかな?上も下も全部脱がして、ちゃんと寝間着に着替えさせてね」
「ひとりでも出来そうですね、分かりました。水を汲んできます。飲むための水差しの分と、あと汗を拭くための洗面桶とタオルに」
「ちぇー」
熱に浮かされつつも百合先輩が悪戯っ子みたいな顔で笑ったのでひとまず大丈夫そうだと判断した。
大丈夫だから、なんて言われてたら逆に心配していた。それは俺をからかう余裕すらないってことになる。
多分その時は汗を拭くことよりも先に流姉さんの待つ病院へ先輩を担ぎ込むことを考えていただろう。
そういうことなら俺が先輩の着替えを拝んでいていい道理はない。必要なものを頭の中でリストアップしながらベッドの側から踵を返す。
壁に掛けられた時計が目に入った。短針は頂点を既に回っている。もうとっくにお昼時だ。
「ああ、もうこんな時間ですね。先輩、食欲ありますか?」
「ん………少しなら。あんまり重たいものは気分じゃないけど………」
「じゃ、水を汲んできたら何か適当に作ってきます。台所お借りしますね」
ドアノブを捻って百合先輩の寝室から廊下に出る。百合先輩の視線が絶たれるとついぽりぽりと頬を指先で掻いてしまった。
ぼんやりして、まるで意気の無い百合先輩と接するのは全然勝手が違って、どうにも落ち着かない。

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