この学校の多目的ホールは図書室から出てすぐ右手、体育館へ向かう途中にある。学園祭のときには運営本部になったり昼休みには移動購買部が訪れたりするそこは、普段は三人掛けの小さなベンチがいくつか並ぶ学生用の談話スペースになっている。そしてここは学園内で唯一自動販売機が常設されている場所でもあった。
その自動販売機でボクは缶のミルクコーヒーを、太桜はペットボトルの緑茶を、海深は同じくペットボトルの乳酸菌飲料を買って、ボクらは一番近いベンチに並んで座った。
「それにしてももうすっかり梅雨だねぇ」
このホールの校庭側は一面が窓になっているため、外の様子がよく見える。降りしきる雨はいよいよ勢いを増し、水はけの悪い学園の校庭を泥沼へと変貌させていた。今日はたまたま三人とも部活動が休みであったが、学校自体はまだ部活動休止期間には入っておらず、遠くに吹奏楽部が調音をするときのやや間の抜けた金管の音階や、この雨のために仕方なく屋内トレーニングに勤しむ野球部やサッカー部のかけ声が小さく聞こえてくる。そしてそんな雑多な生活音を包み込むように、激しくも一定のリズムを刻む雨音が歌っていた。
「そういや太桜。傘、ちゃんと持ってきた?」
「む、もちろんだとも。こういうときのために鞄には常に蝙蝠を忍ばせているんだ」
「それってつまり普通の傘は忘れたってことじゃあ……」
「ぐっ……。なかなか痛いところを突いてくるじゃないか松山……」
悔しそうに目を瞑る太桜に突っ込みたくなる衝動を抑えながらコーヒーを煽ると、その向こう側から海深がぴょこっと顔を出してきた。
「海深はレインコート持ってきたよ。お父さんの会社の新しいやつ!」
にこにこ顔でバッ、とそれを広げる。というか、鞄もないのにずっと持ち歩いていたのか。
海深のレインコートは遠目から見ても目立つような派手なデザインだった。おそらくは澄んだ水の中を泳ぐ金魚たちがデザインモチーフなのだろう。地の色は淡いブルーだが、そこに所狭しと泳ぎ回る魚の影がプリントされている。ブルー部分が半透明な素材で出来ておりやや透け感を感じさせる一方、魚影は鮮やかなほどの不透明な赤色だ。結果的に魚影の方が全体を覆う面積としてはかなり多くを占めているため、一見した印象だとレインコート自体が真っ赤に見えかねない。
かわいいよね!と満面の笑みで見せつけられるが、いまいちボクには良さが分からなかった。
「ちょっとどぎつすぎない? なんかそれ……」
その色合いがちょうど、クラスメイトから今日耳にした都市伝説にそっくりだったから。
「"&ruby(レッドコート){赤い服の男}"みたい」
そんなことを、口走ったのだった。
「いや、最近そんな話を聞いたんだ。夜な夜な獲物を求めてこの街を歩き回る赤い怪物の話」
「なにそれ。また都市伝説? あんまりそういうの鵜呑みにするの海深よくないと思うけどなぁ」
海深が呆れたようにベンチに座り直す。元々オカルト否定派の海深であるが、それ以上に自分がかわいいと思ったレインコートを怪物の衣装扱いされたのが不満のようだった。やや罪悪感を覚えてしまう。
「まあそう言うな梅村。案外そんな与太話にこそ噂が潜んでいたりするものだぞ」
太桜の謎のフォローにもむくれ顔のままだ。
「それで茉莉ちゃん、 "&ruby(レッドコート){赤い服の男}" って?」
そんなむくれ顔のまま海深が問いかけてくる。それに併せて、友人たちから聞いた様々なパターンの "&ruby(レッドコート){赤い服の男}" の話を順を追って話していく。別称として「赤マントさん」などがあること、出自は多岐に渡るが基本的には殺人者であること、正体は人間でないパターンが多いことなどを大まかに話したとことで、纏めに入る。
「うーん、まとめるとタイプとしては口裂け女とかトイレの花子さんに近いかな。姿を見ること自体がタブーとされている一方で、『こうすれば逃れられる』っていうおまじないの類いも色々と設定されてる感じ。まあこういう場合、逃れられるための方策って後付けのことが多いんだけどね。まあとにかく怪物の存在そのものが真実かどうかは置いておくとして、『元ネタ』の存在がいそうな感じがするね」
「元ネタだと!? 待て松山、それはつまり」
「変質者じゃないかなぁ」
身も蓋もないことを言う海深。いや、ボクも大体考えていたことは同じであるのだが、こうもバッサリと切り捨てられてしまうとロマンというものがない。外見はボクたちの中で一番女の子らしいくせに、やたらリアリストなのだ。
「あとは……やたら『3』って数字がよく出てくるね」
「数字?」
太桜の問いかけに首肯する。
「うん。これは『赤マントさん』に付随してる話が多いんだけど、『3回唱えると~』とか『3時33分33秒に3階の窓から~』とか、なんか『3』にまつわる言説が多いんだよ」
「……派生する前の何かがあるのかも」
神妙な顔で海深が言った。彼女にしては珍しく食いついている。
「何かって?」
「わかんないけどね」
ボクの問いかけに、海深はあっさりそう言って肩をすくめた。
「ぜーんぶ3が付くんだったら、元ネタになった変質者と関係あるのかな、って思っただけだよ」
えへへ、と舌を出しながら海深が笑った。かわいい。
「さて、そろそろ戻ろうよ。なんだかんだで海深たち結構話し込んじゃったみたいだよ」
そう言って、ぐいっとペットボトルを煽る。それに釣られて太桜も立ち上がった。
「そうだな。松山に見てもらえる間に問題集のあの章だけでも終わらせねば」
初めからボクに頼る気満々なのは気になるところだが、まあ太桜が乗り気なのはよいことだ。
ボクも一気に缶コーヒーを飲み干した。図書室への飲食物の持ち込みは厳禁である。すっかりぬるくなっていたコーヒーだけれど、人工甘味料が舌に残す後味がなんだか爽やかな印象を与えた。