②
「十影くん?」
「はい、これ。濡らしたら使えるネッククーラー、あと冷却スプレー。ポータブルの扇風機は高いものでもないからあげるよ。
それと大事なのはこれ。ちゃんと水分補給して。全部とは言わないから、飲めるだけ飲んで」
「え………あの………?」
「いいから、飲んで」
普段の十影くんからは想像もできないような、静かだけれども有無を言わさない口振り。
背負ってきたリュックサックからあれよあれよという間に様々な防暑グッズが溢れ出してくる。
まともに口も交わしたことのない深窓の美少年から言われるままに海深は手渡されたペットボトルのキャップを開けて中身を口にした。
ペットボトルのラベルはスポーツドリンクとは違う、明らかに医療用と思われる無骨さに満ちていた。
最初の飛沫を口の中に受けて、ああ美味しい、と。そう思ったが最後、ペットボトルの半分くらいまで一気に空けてしまった。
こんなに一口に水を飲み干したのは初めてかもしれない。
そう戸惑っている私の前で十影くんはなんでもないことかのようにリュックサックのジッパーを閉じている。
「あ、あの………十影くん」
「ん?どしたの」
野生動物が水を飲むような勢いで飲料水を半分空けていた間に、海深の首筋にネッククーラーが添えられて今もひんやりと首を流れる血液を冷やしている。
それらでいろいろとひと心地がついて、ふうと溜息をひとつついた深海はその場から立ち上がって去ろうとしている典河を前にして慌ててしまった。
急にやってきて急に私を助けていった彼。何か言わなければならない。一瞬の内に必死で模索して、出ててきたのはありふれた言葉だった。
「あ、あのね、十影くん!………ありがとう」
「………」
ああ、その瞬間を今も尚言葉になど出来ない。
うまく形に出来ないからこそ格別なのだろう。うまく思い出せないからこそ特別なのだろう。
「………ううん。こちらこそ、お世話様」
立ち上がりかけた彼が私へ向けて、ほんのりと。蕾がほんの少しずつ綻ぶように。
薄い硝子細工のように繊細そうなその唇がぎこちなく弧を描いて歪んだだけで、海深は雷に打たれてしまった。
それがとてもとても綺麗だったから、海深は本当に、びっくりするくらいあっさりと―――
「………あ………うん…………気をつけて、ね………」
「………?ありがとう。俺、こういう身体だから熱射病なんかには特に気をつけててさ。
梅村さんも今渡したぶんで足りなかったら、後から俺に言ってね。予備はたくさんあるから。………それじゃ、円に呼ばれてるから」
十影典河はそう言い残して、真夏の幻のように陽炎の中をふらふらと去っていく。
ぽかんと呆ける海深の元へ入れ替わりにやってきたのは親友の松山茉莉と竹内太桜の二人組だった。
日陰とはいえ、日差しの暑さも忘れている海深の様子へ二人は首を傾げた。
「おーい。もしもーし。どうしたのさ、海深。なんだか心あらずって感じだけど」
「そうだぞ。まるで男子生徒に告白でもされたかというほど耳まで顔が真っ赤だ。もしや日射病なのではないか」
「えっ!?その、だって………」
指摘された顔面を明後日の方向へ背けて隠し、海深は消え入りそうな声で仲良しのふたりへ呟いた。
自分の顔が照りつける日差しにも負けないくらいかんかんに熱しているのを自覚しながら、そう言う他無かった。
「なんでもないの。本当に………なんでもないんだよ………?」
鼓動がうるさい。どきんどきんとけたたましく鳴っている。止められるならこの炎天下の下でどんなこともするのにと、海深は思った。