①
薄暗い照明の中、携帯電話を開いて時刻を確認する。11時半。そろそろ昼時だ。
開館と同時に入った、この土夏市が誇る大型水族館『アクアパーク土夏』を出た頃には昼食のタイミングだろう。
先輩は『楽しみにしておきなさい』と言って食事処の選定を予め禁じていたが。さて、どうするつもりなのやら。
俺は携帯電話を閉じ――最近はスマホというのが流行りらしいが俺は旧式のものだ――視線を館内へと戻す。
「あ、ほら。見てみてセイバーちゃん。これなんて虹色に光ってるわよ」
「む、どれどれ………ああ、本当ですね。きらきらと輝くあのさまはかつての妖精たちにそっくりです」
女性陣が水槽のガラス面を覗き込んでいるのを俺は少し後ろから見ていた。
百合先輩はどこかはしゃいでいる様子だ。声を弾ませながら水槽を次々に梯子してはセイバーを連れ回している。
セイバーも今は緊張感より好奇心のほうが勝っているようだった。百合先輩に言われるままにしげしげと水槽の中の魚を見つめていた。
こうしているとセイバーと百合先輩は仲の良い友人同士に見える。
ふと百合先輩が振り返り、ちらりと俺の方を見た。照明を絞られた薄い室内の中、稚気に富んだ瞳が夜空の星のように光っていた。
「何してるの十影くん、早くこっちに来てよ!」
「………はいはい。了解しました。えーと、こっちの水槽はなんだって?」
「パネルによればチョウクラゲだそうだテンカ。ほら、あなたも見てみるといい」
ふたりが間を開けてくれるのでその間のスペースに挟まるようにして俺も水槽へと近づいた。
水槽の中をふわふわと無数に漂っているクラゲはまるでネオンサインのように虹色のラインを輝かせていた。
透明な身体に虹の流線を持ったその姿はどことなく近未来的なSFを感じさせる。こうしてみると確かに美しい。
とはいえ………俺はどちらかといえば、水槽の中ではなく両脇に立つ二人の女性に視線を奪われていた。
百合先輩はいつもの赤いスカーフとバックリボンワンピースにTシャツを合わせていた。
西洋の血の影響か、東洋人離れした透き通った鼻梁と蒲公英の花に似た色合いの瞳がとても印象的だ。
こうしてぎりぎりまで近くにいると甘い花の香りがこちらにまで漂ってきて、ついどきりとしてしまう。
セイバーは百合先輩によって着せかえ人形と化し、今やどこにでもいる…いや、何処を探してもいないような可愛い女の子になっていた。
ノースリーブのシャツとパーカー、レギンスの上からはホットパンツを履いて、ポップなデザインのスニーカーで足を包んでいる。
青みがかかった髪が俺の視界のすぐ横で揺れていた。もともと綺麗な人だとは思っていたけれど、こんな格好されると落ち着いてなんかいられない。
………こんな甲乙つけがたい美少女ふたりに挟まれて、俺はちゃんと釣り合い取れているのだろうか。背丈も170cmに届かないしな………。
閉口してしまう俺を他所にふたりは水族館トークで盛り上がっているようだった。
「セイバーちゃん的にはどう?こういうところって。さすがに古きブリテンの騎士でも全く未体験でしょう」
「ええ。海の中の魚を捕まえてきてこうやって誰でも鑑賞できるようにするとは当時では考えられない発想ですね。
聖杯を探す旅でいろんなものを見聞きしましたが初めての体験です。私にとって魚は食べられるかそうでないかというだけだった」
「ふーん、まぁそうだよね。魚を透明なガラス越しに観察するなんてこと200年くらいの歴史しかないもん。
でも久々に来るといいもんだね~。何回でも通っちゃう人の気持ち、分かる気がするな~」
「私も分かります。海の中の魚たちはまるで動く宝石のようです。これを知れば万人とこの光景を共有したいと願う気持ちは察します」
「そうだね………っとと!?」
セイバーに相槌を打った百合先輩が突然こちらに向かってつんのめってきた。
とっさに俺はその身体を抱きとめる。原因を視線で探ると子供の姿が近くにあった。
どうやら走ってこちらまで来てぶつかったらしい。近寄ってきた両親と思しき男女が頭を下げて謝るので、お気になさらずと返事をしておいた。
まあ、子供のすることだ。いちいち目くじらを立てるのもなんだろう。
なんて子供連れを微笑んで見送っていた俺へ向けてほんのり硬い形をした言葉が告げられる。それはごく近くから響いてきた。