①
『先程百合が段ボール箱を抱えてあちらへ行ったのだが………テンカ、話は聞いているか?』
セイバーの報告を受けて、俺は一目散に教えられた方へと向かった。
何考えているんだあの先輩。この家にいったい何を持ち込んだというんだ。
スリッパで床をぺたぺた叩きながら小走りで廊下を横切る。
………気配を探っていた俺の耳に飛び込んでくる、ガラスとガラスがぶつかり合うような涼やかな音。
急いでいた足がある客間の前で止まることになった。
長らく―――それこそ、間違いなく18年間は定期的に掃除しに来る俺以外誰一人入ったことのない部屋から物音がする。
なんだろう。妙な緊張感がある。俺は恐る恐る客間のドアの前に立った。
ノックをしようと腕を上げてから考え直し、その手でノックをせずにそのままドアノブを握る。
ゆっくりとドアノブを捻り、そうしてほんの少しだけ扉を開けて隙間からそっと部屋の中を覗き見た。
―――俺の知らない部屋があった。
正確には間取りなどは記憶の一致しているのだが内装はすっかり変わってしまっていた。
最低限のものしか置かれていなかったはずの客間にはすっかり物が溢れ、混沌とした世界になっている。
まず気になったのは部屋全体に漂う香りだ。俺の温室に負けず劣らずの独特の芳香がドアの隙間から漏れてくる。
正体は言わずもがな。これでもかと部屋の隅に並べられた鉢植えたちだ。
色とりどりの花々が何らかの規則性を以てずらりと配置されていた。よくよく見ると、鉢植えの下には何やら魔術の陣が………。
「………って!?じ、絨毯!絨毯の上に!直接!?なんてことを!?」
そんなことをしたらシミになってしまうじゃないか!大問題だ!
洋館と絨毯の平和を守るため、こっそり覗いていたことも忘れてドアを開け放ち鉢植えのある方へ踏み出した。
2歩、3歩………。辿りつきそうになったところで、俺の背中から声がかかった。
「そこ、時間を弄って花の成長速度を調整してるし、一応結界で施錠もしてるから断りなしに踏み込むと危ないよ?」
「え………」
きょとんとなって振り向くと、腕組みをした百合先輩が俺のことをどこか呆れたような顔をしていた。
トパーズの瞳が生暖かい温度になってとろんとこちらを見ている。
「そもそも女の子の部屋にノックもなしに踏み込むというのは正直感心しないなぁ、トカゲくん」
「トエイです、じゃなくて………え、その………すみません………?
じゃなくて!どうして先輩はこの客間を自分色に染め上げようとしているんです!」
俺の中では完璧な指摘だったが、百合先輩はそれをまるで見当違いなことを言った学生を見る教師のような表情でひと睨みした。
「何言ってるの。仕方ないから最後まで面倒を見るって私は言って、君も頷いたでしょ?
ならどうしようもないくらい半人前な十影くんをせめて魔術使いと言えるくらいには引っ張り上げないといけないじゃない。
時間なんてかけていられないから超突貫の即席コースだよ。というわけで店とは往復することにしてしばらくここに泊まり込むから。
三食分の食事は任せるね。どちらかといえば中華が好みだけど献立に文句まではつけないし美味しいのをお願い。
そうそう開けていない荷物がまだあるから手伝って十影くん。大丈夫、魔道具はまっさきにやっつけたから後は日用品だけで危険はないよ」
立て板に水を流したようにつらつらと述べると百合先輩はそれが当然のように未開封の段ボール箱を指差した。
こう言われるとなんだか先輩が正しい気がしてくるから不思議だ。
我が家の一部屋が今まさに占拠されようとしていながら、『まぁ仕方ないか』という気分になってくる。
釈然としない思いを抱えながら俺はガムテープで封すらされていない段ボール箱の蓋を開けた。
なるほど言われたとおり百合先輩の私物と思しきものがたっぷりと詰まっていた。………もう1泊か2泊するとかいうレベルじゃない。
気分は一人暮らしを始めた大学生。これだけあればあとは電化製品さえ揃っていれば生活できてしまうだろう。