さらに J トインビーは過去
こんな行動もして、予想を外すどころか、悪化させた苦い経験もありますね
― 以下 wikiより抜粋
トインビーは、1936年にナチス法学会の講演のためにベルリンを訪れた際
アドルフ・ヒトラーの要請により、ヒトラーとの個人的なインタビューに応じた。
トインビーの講演の前日に行われたこのインタビューで
ヒトラーは、より大きなドイツ国家を建設するという限定的な拡張主義の目的と
イギリスの理解と協力を望んでいることを強調した。
また、ドイツが植民地を回復すれば、アジア太平洋地域でイギリスの同盟国になれるとも語った。
トインビーはヒトラーが誠実であることを信じ
イギリスの首相と外務大臣に宛てた極秘のメモの中で、ヒトラーのメッセージを支持した
トインビーの講演は英語で行われたが、ドイツ語に翻訳した原稿が事前に関係者に配られていたため
ベルリンの聴衆はその融和的なトーンを高く評価した。
当時、ベルリンに駐在していたイギリスの外交官トレーシー・フィリップス(英語版)は
後にトインビーに「ベルリンのどこにおいても熱心な議論の対象となっていた」と伝えている。
一方、トインビーの同僚の中には、彼が英独関係を管理しようとしていることに失望してい者もいた。
―以上 https://ja.wikipedia.org/wiki/アーノルド・J・トインビー より
つまり、ヒトラーの性善説を信じた結果、返って悪化させる要因を作ってしまった
そんな事があってか存知しかねないが wikiには、こんな事も書かれていまね
―以下 wikiより
1960年以降、トインビーの思想は学術的にもメディア的にも衰退し
現在ではほとんど引用されなくなっている。
一般的に、歴史家たちは、
トインビーが事実に基づくデータよりも神話や寓話、宗教を好むことを指摘している。
トインビーの批判者は、彼の結論は歴史家というよりもキリスト教道徳家のものであると主張した。
メイン大学のマイケル・ラングは、2011年に"Journal of History"に寄稿した論文
"Globalization and Global History in Toynbee"の中で次のように書いている。
今日、世界の多くの歴史家にとって、アーノルド・J・トインビーは
ハウスパーティーでの恥ずかしいおじさんのように見なされている。
家系図に載っているという理由で必要な紹介を受けても
すぐに他の友人や親戚に追いやられてしまう
―以上
https://ja.wikipedia.org/wiki/アーノルド・J・トインビー より
つまりJ.トインビーも同じように、件の対談で限界を露呈していて
トインビーの考え方自体が
「右のほっぺを叩かれたら 左のほっぺを差し出せ」
・・・と言わんばかりの、キリスト的なマゾヒスト丸出しの現実離れした答えで実態が合わず
また、そういった教えは「般若心経」にも書かれていて 迹門の類や
「真言亡国」といわれるように「謗法を重ねる要因」だと、破折する以外ありませんね