行列のできるオアシス→砂漠の図書館 魔導士視点の真面目な短編
「ぐすっ、ぐすっ」
少女の泣き声が聞こえる。鉄柵に囲われたオアシスの外で、肩を震わせるみすぼらしい少女がいた。
「どうしたんだい?」
「あれ...私の...ぐすん」
彼女は鉄柵の内側を指さした。その先には、ポーチのようなものがあった。何枚かの銀貨が顔を出し、砂漠の強い日差しに照らされて輝いている。
一人の魔導士...いや、人間として、目の前で泣いている少女を放っておくことなどできなかった。まずは彼女を安心させるため、強く抱きしめる。
「大丈夫。僕が必ず取ってきてあげるからね」
さて、とは言ったもののどうしようか。彼女が自分で財布を取りにいかなかった理由が改めて理解できた。
砂漠において、水というのは何よりも貴重なものだ。そんなところにオアシスがあれば、当然人は殺到し、瞬く間に行列ができてこうなる。
「すみません、そこにある財布はあの少女の物なんです。少し通してもらえますか?」
「そんなこと言って俺の水を奪う気だろう!ちゃんと並べ!」
まぁ、当たり前の対応だ。自分だってそう言うだろう。正攻法では取り戻せないことは、最初からうすうす分かっていた。
「あの、ごめんなさい...私のドジで、迷惑かけて...」
「気にしないで。ポーチと一緒に君の笑顔も取り戻してみせるよ」
(仕方ない...女の子のためだもんな)
自分が旅に出た目的は、まだ見ぬ魔導書を読むことができる”砂漠の図書館”へとたどり着くこと。これまでの道で食料や水はかなり減ってしまい、正直余裕はあまりない。それに、質の高い魔導書を読むには多くの魔力が必要だ。でも、この行動が一人の貧しい少女を救うなら...!
「エラガイアム!」
鉄柵の向こうで、砂が震える。やがてそれらは舞い上がり、ポーチを乗せて僕の手元へと降り注いだ。
「はい、もう落としちゃダメだよ」
「......!」
少女の顔が明るく輝いた。頬に流れた雫を指先で拭い、満面の笑みでこう言った。
「まるで魔法みたいだった!お兄さん、ありがとう!」
”魔法みたい”。
魔法についてまったく知らない人間には奇跡的とも思える現象を、彼女はそう称した。
「あの人は女神みたいだ」とか「これは僕の宝物だ」とか、物事をポジティブに例えるときには”例えられる側のもの”は”価値あるもの”だという前提がある。
だから、何もないところから風が巻き起こりポーチを持ってくるという奇跡を例える魔法は価値あるものだという話。
それを知っているから僕は学ぶのだ。
魔法のような奇跡を、感動を、みんなに与えるために。何より、僕自身がそれを体験したかったから。
というわけで、ようやくたどり着いた砂漠の図書館で、手頃な本を手に取った。
タイトルは「獣には牙が与えられた 人間には魔法が与えられた」。
内容は魔法の使い方というより、この世界における魔法の変遷といった感じだった。
最初に自分が求めていたものではないとはいえ、こういった歴史書も力にはなる。魔法とは不思議なもので、同じ効果でも時代によって呪文の形態が違ったりするのだ。同じ魔法でも、違った視点から見れば新しい発見があったというのはよくある話だ。
三分の一ほど読み進めたころ、異変は訪れた。
鳴き声が聞こえる。いや、人間の声ではあるのだが、まるで理性のない獣のような叫びが聞こえたのだ。
「あ”っ」
断末魔のような叫びが、唐突に終わる。確実に”何かに襲われている”。貸出記録を読んでいたページに挟み、息を殺して本棚から離れる。
「ひっ!」
また聞こえた。今度はさっきよりも近い。この棚の向かいだろうか?ということは、次に同じ目に合うのは...
体が震えだす。この蒸し暑い砂漠で明確に示された死の危険が、体を冷たく凍らせていく。それなのに、脳は冷静さを取り戻せない。嫌な汗、震える体、砂漠の熱、凍える心、すべてが溶け合い混じりあってすべてを狂わせていく。
今この状況でできることは?そもそも敵の正体は?どうやって彼らは殺された?
既に正常な思考が保てる段階は過ぎていた。敵は確実にこちらへと近づいているはずだ。何か、何か生きる手段は...
(牙がある...!)
人間には魔法という牙が与えられたのだ。震えは止まった。代わりに勇気が体を包み込んでいる。
本棚の影から、何かが忍び寄ってくる。かましてやるぞ。あの二人の仇を取ってやるさ。使う魔法はもう決まった。僕の精神はこれまでの人生で最高のテンションへと上り詰めている。最高の出力で、最大の痛みを味わってもらうぞ。
目の前に何かが現れたのを皮切りに、相手も確認せずに僕は呪文を唱え始める。強力無比な一撃を、やつに与えてやるんだ。
「オイェディールユフィーム ソーアブリーク!」
叫ぶと同時に、目の前が真っ暗になった。真紅の霧と瘴気が身を包む。初めての召喚魔法が成功した!
「ふっ...ははははは!やったぞ!ざまぁみやがれ!」
殺人鬼を、俺がこの手で葬ることに成功したのだ。思わず気分が舞い上がり、体は空へと舞い上が...る...?
(え?なんで?どういうことだ?)
自分の胴体を触る。触ろうとする。が、ない。あるべきものが、その場所に。
下を見ると、そこには自分が”あった”。生きてはいない。胸のあたりから血が噴き出し、その傷口は腐ったようにドロドロだった。
(俺を殺した奴が、必ず近くにいるはずだ...あの時は顔すら見なかったあいつの顔を、最後に拝んで去っていきたい...)
見渡しても見渡しても、自分と同じような腐った死体しか見当たらない。本棚の裏に隠れて見えなくなっているのか?
(ん?あそこで本を読んでいるのは、まさか!?)
返り血を浴びて真っ赤になった手で、図書館の本を熱心に漁るヘビがいた。
「お前を絶対に許さないッ!地獄でお前を永遠に待ってるからなぁッ!」
聞こえるわけがないのに、俺は大きな声で叫ぼうとした。音にならない音が砂漠の空に消えていく。
奴はひときわ大きな本を手に取ると、こちらを振り返り、光のない目でこちらをじっと見つめていた。
獣には牙が与えられた。人間には魔法が与えられた。
だから狡猾な蛇は猛毒を宿した。
「獣には牙が与えられた 人間には魔法が与えられた」244頁 8、9行目より引用
運悪いな。普通裏取引案件なのに
(何だこのシナリオ...?普通はここで裏取引するだろ...)
短編ストーリーとして面白さを持たせるためには仕方ないのだろうが、それにしてもこのヘビの行動は非効率的で疑問が尽きない。この文章のどこかに裏取引をしない理由が隠されていたりするのだろうか?
そんなことを考えていると、ふと背後に気配を感じた。少なくとも穏やかなものではない、なにか重苦しく本能的な恐怖を湧き立たせる気配。不用心に振り返ってはならないと直感的に理解し、呼吸を整える。幸い、その気配の主はこちらにまだ何の危害も加えていない。落ち着いて対処法を考えるんだ。バレないように警察に通報する?いや、そんな悠長なことをしている場合ではない。安全に、かつ迅速にこの場を切り抜けるにはどうすればいいってぇぇぇぇ!いきなり何しやがるんだクソが!人んちに勝手には言った挙句いきなり刺すとか人間のやることじゃねぇぞ!おい聞いてんのかお前!シュレッグみたいな肌の色しやがって!いやマジでお前人間か?顔色悪すぎじゃね?話聞こえてる?マジで大丈夫?って話してる最中だろうが遠慮なく切りつけてるんじゃっ
狡猾な蛇はどこまでも残忍だった。
は言った→入った
狡猾な蛇は誤字を減らす術を持っていなかった。