仏道の『阿頼耶識システム』

『唯識』 / 2

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法介 2023/10/08 (日) 05:04:50 修正

受熏の四義
https://komajo.repo.nii.ac.jp/record/1146/files/KJ00008526339.pdf

 依何等義立熏習名。所熏能熏各具四義令種生長。故名熏習。何等名為所熏四義。一堅住性。若法始終一類相續能持習氣。乃是所熏。此遮轉識及聲風等性不堅住故非所熏。二無記性。若法平等無所違逆。能容習氣乃是所熏。此遮善染勢力強盛無所容納故非所熏。由此如來第八淨識。唯帶舊種非新受熏。三可熏性。若法自在性非堅密能受習氣乃是所熏。此遮心所及無為法依他堅密故非所熏。四與能熏共和合性。若與能熏同時同處不即不離。乃是所熏。此遮他身刹那前後無和合義故非所熏。唯異熟識具此四義可是所熏。非心所等。何等名為能熏四義。一有生滅。若法非常能有作用生長習氣。乃是能熏。此遮無為前後不變無生長用故非能熏。二有勝用。若有生滅勢力増盛能引習氣。乃是能熏。此遮異熟心心所等勢力羸劣故非能熏。三有増減。若有勝用可増可減攝植習氣。乃是能熏。此遮佛果圓滿善法無増無減故非能熏。彼若能熏便非圓滿。前後佛果應有勝劣。四與所熏和合而轉。若與所熏同時同處不即不離。乃是能熏。此遮他身刹那前後無和合義故非能熏。唯七轉及彼心所有勝勢用。而増減者具此四義可是能熏。如是能熏與所熏識倶生倶滅熏習義成。
(護法等菩薩造 / 玄奘譯『成唯識論』卷第二)*6

堅住性とは、熏習を受けるものは長期的に同体性を維持していかなければならない、という容体ならではの本質を指すものである。
繰り返し同じ内容でなければ熏習されない

無記性とは、善悪の種子を薫習されるものとして、その所熏の識は、あくまでも容体としてそれ自身が善であったり悪であったりすることはない。したがって、善とも悪とも決定しない無記の性質のものでなければならないという本質を指すものである。

阿頼耶識では意志は働かない

可熏性とは、その容体が他の別な容体に二重に支配されることを排除し、どこまでも独立的自主性をもった存在でなければならないこと、かつ常恒的に不変であるというようなものでは柔軟に熏習する有余が亡くなってしまうことから、熏習可能の余裕のある存在でなければならないという本質を指すものである。
阿頼耶識は熏習可能。熏習機能は阿頼耶識にしかない特性

能所和合性とは能熏する側と相応して離れることがない存在でなければならないという本質を指すものである。すなわち、能熏と所熏とが同時間かつ同空間を共有し、二者和合して離れないということが条件であることになる。これは他身において前後異時におけるものを斥ける特質であり、そうでないと因果関係が破綻してしまうからである。
能熏する側と能熏される側が因縁で和合していなければならない
瞬間瞬間に熏習される。タイムラグはない。第三者に熏習さることもない

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