仏道の『阿頼耶識システム』

天台教学に関する阿頼耶識 / 4

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法介 2023/08/08 (火) 07:31:01

仏は方便を用いて「有」の実体の世界に現れ(従空入仮観)、方便を取り払って(非有)空の住処へ戻ります。凡夫はその逆で、有(実体)を完全に寂滅して「空」に入ります(従仮入空観)。

 【一空一切空】
 空(凡夫の空観)亦空 従仮入空
 空(仏の空観) 非有 従空入仮
 空(悟りの空観)非有非空

空を方便として滅して有の世界に「非空」で顕れる仏の空観(従空入仮観)を観じることで、凡夫が「有」を滅することなく有(実体)を空(縁起=因果)へと転換することが出来ます。

『摩訶止観』卷第三上には次のようにあります。

從空入假名平等觀者。若是入空尚無空可有何假可入。當知此觀爲化衆生。知眞非眞方便出假故言從空①。分別藥病而無差謬故言入假。 平等者望前稱平等也。前觀破假病不用假法但用眞法②。破一不破一未爲平等。後觀破空病還用假法③。破用既均異時相望故言平等也。

大正蔵テキストデータベース

「此の観は衆生を化せんが為なることを。眞は眞には非ずと知りて、方便として仮に出づ、故に従空と言う。」①
(仏は非空から仮に入るから従空入空観という。)

「前観は仮を破して仮法を用いず、但だ眞法を用いるのみ。」②
(凡夫の空・仮・中は俗諦を破してただ真諦を用いるだけ)

「後観は空を破して還た仮法(非空)を用う。」③
(仏の空・仮・中は非空(有)から非有(空)へ入空観する。)

この意味するところが先に紹介しました『維摩經玄疏』の中の「能観の三観」についての説明文にあたります。

「能観を明かすとは、若し此の一念無明の心(凡夫の従仮入空観)を観ぜば、空に非ず仮に非ず。一切諸法も亦た空・仮に非ず(仏の従空入仮観に入る)。而して能く心の空・仮(真実の仏の空・仮)を知らば、即ち一切法の空・仮を照らす(悟りの空・仮の非有・非空)。是れ則ち一心三観もて円かに三諦の理(一空一切空観)を照らす。此れは即ち観行即(己心に仏性を観ずる位)なり。」

(維摩經玄疏 529a11-15)

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