仏道の『阿頼耶識システム』

学術論文(仏教学) / 22

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法介 2024/06/10 (月) 06:31:04

>> 21

https://www.soka.ac.jp/files/ja/20170428_223347.pdf

第一節「『法華文句記』所引の『十不二門』」では、『法華文句記』に引用・言及される「十不二門」を取りあげ、「十不二門」が引用された『法華文句記』の内容と「十不二門」との思想的関連性を検討している。「十不二門」は理の強調がみられることはすでに先学によって指摘されているが、松森氏は『法華文句記』所引の「十不二門」の中にも理が強調されていることを明らかにしている。『法華文句』の方便品の品題を解釈する箇所に対する『法華文句記』に出る「具如不二十門所説」と「十不二門」の関係性を理解するために、『法華文句』において後に「十法」として提示される「十双」、すなわち事理・理教・教行・縛脱・因果・体用・漸頓・開合・通別・悉檀に着目し、それら各項目に見出される「権」・「実」の「権」を『法華文句記』は「即実而権」と理解していることを指摘し、ここに示される権実の関係は、「実」を中心として「権」がそれに相即するという縦列的・一方向的な相即関係であることを明らかにしている。また「具如不二十門所説」に関連する『法華文句記』の記述には、「本迹雖殊、不思議一」という言葉が引用されていることに着目し、同じく「本迹雖殊、不思議一」という言葉が多く引用される『法華玄義』とそれに対応する『法華玄義釈籤』の議論を検討して、『法華玄義』には本から迹、迹から本という双方向的な相即関係が提示されていたものが、『法華玄義釈籤』においては理によって事が位置づけられるという一方向的な相即関係のみが示されていること、このような関係性は『法華玄義釈籤』のみに限ったことではなく『法華文句記』においても同様のことがいえること、湛然の不二に関する基本的な発想には、差別相としての「事」を超越し、無差別の「理」に帰結させるという理解が反映されていることを明らかにしている

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