仏道の『阿頼耶識システム』

パーリ仏典の『小空経』と『大空経』について

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【パーリ仏典では】

小空経』(Cūḷasuññata Sutta)
パーリ仏典の『中部』(Majjhima Nikāya, 中部経典)の第121経に収録されています。この経典では、比丘(僧侶)が心を落ち着け、段階的に空の境地を体験していく瞑想のプロセスが説明されています。

大空経』(Mahāsuññata Sutta)
パーリ仏典の『中部』(Majjhima Nikāya, 中部経典)の第122経に収録されています。この経典では、僧侶たちに対して「空」を中心とした生活態度と瞑想の実践を説いています。特に「多くの人々と交わることを避け、簡素であるべき」という教えが強調されています。

【漢訳経典では】

小空経
中阿含経』(T26, 中阿含)第190経「小空経」として収録されています。内容は、パーリ原典とほぼ一致しており、「空性」を瞑想を通じて段階的に理解する教えが中心です。

大空経
中阿含経』(T26, 中阿含)第191経「大空経」として収録されています。こちらもパーリ原典に基づき、僧侶の実践と「空性」に基づいた生き方を強調しています。

法介 9528597d03
作成: 2024/12/02 (月) 02:14:09
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法介 2024/12/02 (月) 02:26:11

仏教の重要概念である「空」について、パーリ仏典の『小空経』と『大空経』で内容の異なる空がそれぞれに説かれております。

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法介 2024/12/02 (月) 02:32:05 修正

『小空経』では、

パーリ仏典の『中部』では、

あるとき世尊は舎衛城の東園鹿子母講堂に住された。そのときアーナンダが夕刻に独坐より起って世尊のもとを訪れ、「あのとき世尊はナガラカという釈迦族の町に住され、『今、空住に多く住している』と語られました。憶えていらっしゃいますか」と言った。世尊は「よく憶えている。私は以前も今も空住に多く住している。例えばこの鹿子母講堂は象・牛・馬について空、金・銀について空、女・男の集まりについて空である。しかし比丘サンガについては不空である。あなたたちもそこにないものについては空であると見、そこに残っているものはこれはあると知りなさい。そして有為は無常であり、滅するものであると知れば欲漏・有漏・無明漏より解脱し、解脱したとの知見が生じ、欲漏・有漏・無明漏は空であると知る。しかしこの命の縁としてある六処は不空である。このようにして究竟無上にして清浄なる空を成就して住しなさい」と説かれた。アーナンダは満足して世尊の所説を歓喜した。

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法介 2024/12/02 (月) 02:34:11 修正

漢訳仏典の『中阿含経』では、

あるとき世尊は舎衛国の東園鹿子母堂に住された。そのとき阿難が時に宴坐より起って、世尊のもとを訪れ、「あるとき世尊は釈迦族中の釈都邑という城に遊行されました。そのとき『我は多く空を行ずる』と語られましたが憶えていらっしゃいますか」と言った。世尊は「よく憶えている。私はその時より今に至るまで多く空を行じている。たとえばこの鹿子母堂には象・馬・牛・羊・財物・奴婢はなく空であるが、比丘衆は空ならざるが如しである。もしこの中に無なれば空と見るが、余りあれば真実有と見る。これを真実空を行じて顛倒せずという。欲漏心解脱し、有漏心解脱・無明漏心解脱すれば欲漏を空じ、有漏を空じ、無明漏を空じるが、六処命があるから不空である。このように真実空を行じなさい」と説かれた。阿難および比丘らは歓喜奉行した。

と説かれております。

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法介 2024/12/02 (月) 02:42:43

ここで説かれている「空」は、

私は以前も今も空住に多く住している。例えばこの鹿子母講堂は象・牛・馬について空、金・銀について空、女・男の集まりについて空である。しかし比丘サンガについては不空である。あなたたちもそこにないものについては空であると見、そこに残っているものはこれはあると知りなさい。

といった感じで〝状態〟を言い表す空です。

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法介 2024/12/02 (月) 02:47:25

そして、

欲漏心解脱し、有漏心解脱・無明漏心解脱すれば欲漏を空じ、有漏を空じ、無明漏を空じるが、六処命があるから不空である。このように真実空を行じなさい」と説かれた。

とありますように、我欲や煩悩が無くなった状態として空が説かれております。

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法介 2024/12/02 (月) 02:53:34

要約しますと、『小空経』で説かれている空は、

形容詞としての「モノの有る無し」の〝状態〟を言い表す空が説かれております。

我欲を無くし、有漏(煩悩)を無くすことで心解脱に至るのだと。