『小空経』では、
パーリ仏典の『中部』では、
あるとき世尊は舎衛城の東園鹿子母講堂に住された。そのときアーナンダが夕刻に独坐より起って世尊のもとを訪れ、「あのとき世尊はナガラカという釈迦族の町に住され、『今、空住に多く住している』と語られました。憶えていらっしゃいますか」と言った。世尊は「よく憶えている。私は以前も今も空住に多く住している。例えばこの鹿子母講堂は象・牛・馬について空、金・銀について空、女・男の集まりについて空である。しかし比丘サンガについては不空である。あなたたちもそこにないものについては空であると見、そこに残っているものはこれはあると知りなさい。そして有為は無常であり、滅するものであると知れば欲漏・有漏・無明漏より解脱し、解脱したとの知見が生じ、欲漏・有漏・無明漏は空であると知る。しかしこの命の縁としてある六処は不空である。このようにして究竟無上にして清浄なる空を成就して住しなさい」と説かれた。アーナンダは満足して世尊の所説を歓喜した。
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