認識が空観に変わるとどうなるかと言いますと、対象を凡夫の前五識で認識しその現量を因として第六意識で比量が働き結果として対象を「実体」として見ていた認識が、前五識と第六意識が空じられ、それにより第七意識が阿頼耶識に貯蔵されている「そのモノがそのモノと成り得た因果」を拾い上げ、それを因とした阿頼耶識縁起が起こります。
「主観と客観」での第六意識での認識から、末那識での阿頼耶識の因果の認識へと変わる事で対象の真実の姿が観えてきます。
これが『唯識』で説かれる三性説です。
『唯識三十頌』の28頌の「相分と見分」の三性説です。
唯識三十頌 その④
https://zawazawa.jp/bison/topic/28
①相分も見分もない(依他起性)
②相分も見分もある(遍計所執性)
③見分はあるが相分はない(円成実性)
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