仏道の『阿頼耶識システム』

無為法(一念三千の法門) / 8

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法介 2024/05/10 (金) 07:30:56 修正

無為と似た言葉で、無漏という仏教用語があります。

『唯識』では無漏の種子とか言いますが、この無漏とは迷いが無く不浄なものが尽きているといった意味です。

一念三千の〝一念〟とは今一瞬の心を指して言うのですが、凡夫は自身のどこを探しても迷いの心しかありません。真理に疎いのが凡夫ですから凡夫の心は〝無明〟なのです。

縁起というのは人為的に起こる(心が縁じて起こる)もので、凡夫の心を因として起こる限りそれは有漏であり不浄なものが完全に尽きているとは言えません。

たとえそれが阿頼耶識を因として起こる末那識であったとしても(阿頼耶識縁起)です。

禅宗などでは「はっ!」とした無意識で起こる気づきを仏の悟りのように教えられているようですが、無意識は末那識で起こる深層意識ですが、それに気づく意識は表層の第六意識ですし、因となっているのも自身の凡夫の阿頼耶識に過ぎません。

この深層の第七末那識と表層の第六意識の二つの意識で対象を捉えることを「片眼仏、片眼凡夫」などとも言ったりしますが、ここでの意識は凡夫の自身の阿頼耶識を因として起こる出来事(縁起)なのでこれは有為です。

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