観の意味は世界観、諦の意味は真理で、凡夫は三観、仏は三諦と凡夫が仮設の世界を観るのに対し、仏は対象を真理(縁起)で観ます。
凡夫が捉える対象物は全て仮設ですが三身の応身如来は仮設ではありません。
縁起で立ち上がる実体が仮設です。
応身如来は凡夫の認識で顕れる真理です。
真如の世界を顕した十界曼荼羅がそれにあたります。
応身(縁=見られる側)+仮観(見る側)+仮諦(因果=因縁説周)
見る側である凡夫が見ている対境の曼荼羅と一体となります。と同時に覚りの因果もそこには備わっております。(一仮一切仮 ← 縁起ではない)
(※假 → 仮)
これが三三九諦図の(所観の境)としての仮諦の一念三千です。
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