縁起とは縁に依って起こるものです。
因が縁に依って果が生じる。
この縁起というモノの見方を外道の二辺見に対して〝中道〟と言います。
対象を「有る無し」の実体思想で捉える見方をお釈迦さまは、有ると見るを常見と言い、無いと見るを断見としてこのようなモノが有る状態と無い状態とで見る見方を外道の見解とされました。このような「有る無し」の二辺見は人間の感覚器官が縁となって見える現象(出来事=縁起)で、これは表層意識である第六意識での認識によって起こります。
対象を感覚器官が客観で捉え、捉えた情報を過去の記憶と照らし合わせて主観で思いめぐらしそれが何であるかを判断します。この一連の作用を仏教では五蘊(色・受・想・行・識)として説かれております。
この主観と客観による認識で我々人間は、対象を〝実体〟として見ます。
<人の認識>
客観=相(対象の姿・形、外観)
主観=性(それが何であるかを考える心の働き)
実体=体(言語によって概念化された対象の呼び名)
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