人の認識が主観と客観なのに対し、仏の認識は縁起です。因と縁に依って果が生じる縁起が、どのような依存関係で起きるのかを詳しく解き明かしたのが唯識です。
非空では、この仏の縁起での見方を空じる訳ですが、それがどういう事なのかをコインを例えて説明します。
コインの表の面を〝因〟として、裏の面を〝果〟とします。
因が時間の経緯の中でひっくり返って裏面の果が表面になりその姿が現れます。これが此縁性縁起(色即是空)です。
そして裏返った果を見る事でその裏側の因の在り方を再認識します。認識が変わる相夜性縁起がこれに当たります(空即是色)。
このコインの「表面の因」と「裏面の果」の両面をそれぞれ見る事でコインの全ての面を見る事が出来ます(色即是空 空即是色)。ただしそれにはコインをひっくり返すという作業が必要となります。片面づつでしか表に現れないからです。
人間の生死の関係はこのコインの裏と表の関係にあたります。表面が「生の側面」で裏面が「死の側面」です。死と言いましても肉体が死滅しただけで心(識)は存在し続けます。それが裏面の肉体を持たずに意識として存在し続ける状態です。肉体から解脱した仏がこの「死の側面」になります。死と言いましてもそれは肉体が死滅しているだけで意識は存在し続けております。
生きた状態でこの仏の側面に入ると世界は色界に変わります。人間の世界は自我によって肉体が生まれ、その肉体がある事で様々な欲が生じます。その一切の欲から離れたのが色界です。ここでは完全に肉体から解脱していて肉体が持つ五蘊の機能は完全に停止状態となります。(五蘊皆空)
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