『法蘊足論』の四無量定と勝解:『声聞地』との関連性から 阿部 貴子
https://www.jstage.jst.go.jp/article/chisangakuho/71/0/71_0013/_pdf/-char/ja
(プリント下部 No.21-22)
- 四静慮との関係と勝解作意
次に『法蘊足論』は iii)「慈心定と四静慮」において、慈心定と静慮の関係を述べている。上のような世間的な勝解の段階では、まだ欲界~第二静慮に過ぎないが、第三静慮を得れば、慈心定と認められるとして以下のように述べる。
『法蘊足論』486a9–10:若し此の生有り、近・曾・現に第三静慮に入り、彼の楽相を取りて、是の如くの心を起こす。28
しかし Vibhaṅga では四無量定を初静慮~第四静慮と捉え、阿毘達磨論書においては四種をそれぞれ別の静慮に配当する。すなわち『婆沙論』は、慈・悲・捨無量定を欲界・未至定・中間静慮・四静慮の七地とし、喜無量定を欲界・初二静慮と見なす 29。『倶舎論』では慈・悲・捨無量定を未至定・中間静慮・四静慮とし、喜無量定を喜受のあることから初二静慮と定める 30。これは第三静慮において楽はあるが喜は無いという阿毘達磨の教理によるものである。
一方『声聞地』「第二瑜伽処」では、上述の経典を解説しつつ以下のように示している。
ŚrBh II, 70–71: yat punar āha (3)“vipulena mahadgatenāpramāṇene”ty anena
mṛdumadhyādhimātrasya sukhasyopasaṃhāra ākhyātaḥ kāmāvacarasya,
prathamadvitīyadhyānabhūmikasya vā, tṛtīyadhyānabhūmikasya vā /
さらにまた、(3)「広く、大きく、無量なることによって」と説かれるこれによって、僅かなもの、中程度のもの、最上のものである、欲界、あるいは第一・第二静慮地、あるいは第三静慮地の与楽が説明されている。
このように、『声聞地』は四無量を特に区別せず、欲界~第三静慮までと見ていることが分かる。