仏教では、「法四依」というのが説かれておりまして、これはお釈迦さまの教えを正しく理解する為の術としてお釈迦さまが遺言的に示された四項目からなるとても大事な指針です。その中に、
依了義経不依不了義経
というのがありまして、「了義経に依りて不了義経に依らざれ」と読みますが、意味は「完結していない経典を拠りどころとせず、完結している経典を拠りどころとしなさい」といったものです。そういった意味でお釈迦さまの一代聖教を見てみると、『法華経』は、間違いなく完結している経典です。なぜそう言いきれるのかと言いますと内容を見れば分かります。
『法華経』では「開三顕一」がまず説かれております。
これは、仏が覚り得た最高の境地が言葉では言い現わせない、人間の概念から完全に抜け出た世界観であって、それを人間に理解させる為には三段階のステップを踏んだ教法を用いないと伝える事が出来ないとお釈迦さまは考えらた訳です。
そのステップ教法が『法華経』で示された三乗の教えです。
声聞の境涯に即した教え(第一ステップ=蔵教)
縁覚の境涯に即した教え(第二ステップ=通教)
菩薩の境涯に即した教え(第三ステップ=別教)
これは人間の思考に沿ったステップです。人間はまず外の情報を客観認識でキャッチします。そしてその感受した情報を吟味(模索)します。そして「これはこういうものだ!」と意識として判断します。そして最終的にそれを概念として脳にインプットしていきます。
蔵教ではまずこの客観認識のシステムに沿ってお釈迦さまは法を説いて行かれます。その客観認識がどのようなシステムになっているかを六根・六境として詳しく解き明かされます。(阿含経典)
六根=認識器官
六境=認識対象
これは「主体と対象」の関係です。〝見る側〟と〝見られる側〟のそれぞれのあり様が詳しく説かれております。
そしてこの六根・六境に六識が加わって眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識といった六つの認識が生じます。これらの一連の働きをまとめて仏教では「五蘊」と言います。(色・受・想・行・識)
この五蘊の働きを全て停止させる為に行う瞑想が第一ステップで「九次第定」としてお釈迦さまが示された蔵教における修行法です。「九次第定」ではまず色界禅定と呼ばれる四段階からなる禅定(四禅)で五蘊を全て停止させます。
これは六根・六境によって起こる第六意識までを初禅・二禅・三禅・四禅といった四段階の禅定で次第に止滅さていく禅定です。