仏教では諸々の「法」が〝真理〟として説かれており、その法のことをダルマとも言いますが、それら諸々の法のことをまとめて「諸法」と呼びます。
以下に紹介します「福田論文」のプリント下部表示No.29で説一切有部がこの法(ダルマ)をどのように解釈していたかが詳しく説明なされております。
二無心定の成立 福田 琢 教授(専門:仏教学)
http://echo-lab.ddo.jp/libraries/同朋大学/同朋仏教/同朋仏教 30号(1995年7月)/同朋仏教30 004福田 琢「二無心定の成立」.pdf
No.29下段の「心不相応行」の説明のところです。
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〝見る性質をもつダルマ〟(眼)という物質的ダルマ(色法)が美しい光景をとらえれば、それが原因となってこころに〝感受する性質をもつダルマ〟(受)や〝想念のダルマ〟(想)という心的ダルマな(心所法)が発生し、快さをおぼえる。
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この説明は説一切有部が「諸法」の「法」をどのように考えていたかを説明している文章です。そして説明文は次のように続きます。
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しかし次の瞬間〝聞く性質をもつダルマ〟(耳)が騒音をとらえれば、最前の快感は消滅し、今度は不快感が生じる。このように、ダルマは常に因果律にしたがってとどまることなく生成消滅している。諸々のダルマの集合集散によってうつろいゆくこの無常な世界が有為の領域である。
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説一切有部は、このように諸法の法(ダルマ)が縁起によって生成消滅していると考えた訳です。
ですから法は縁起によって存在する。
仏は「無我」を説いたが法(ダルマ)は存在する。
といった主張が説一切有部が唱えた「法有」です。
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