まがりなりにも9000丁生産していたAVS36と精々1〜10丁しか試作されてない日本の試製武器群を比べてはいけない
自動小銃丙はほぼ正式採用直前までいってたのしらんのかな?昭和11年時点で甲丙案に絞り最終調整の項目が決定、開発を継続してたが昭和13年の中国戦からの国家総動員法が制定され師団増強編成に迫られ同時に開発してた99式小銃やら軽機の7.7㎜に統一するという方向性が決まった為既存の38式、99式小銃を作らんことには師団編成ができないという理由だけで自動小銃開発は最終審査たる耐久試験もクリアしたのに量産棚上げ採用見送りという悲運にあってる、シナ事変が盧溝橋事件止まりで文字通り事変レベルで終わってくれてれば(そもそも中国軍が停戦後に上海租借を包囲し一度結んで正式に謝罪もした盧溝橋事件の停戦協定無視して租借内部の上海陸戦隊と居住民に攻撃し始めた時点で収拾つかないが)開発があと半年~1年早ければ量産化はされてたのは間違いないレベルまで進んでた(上記理由で量産見送り)、非常にもったいないなとは思う、そしてM1ガーランドの存在とソ連の自動小銃量産開始が近いとの情報を聞きつけてわずか2年後39年には6年かけた自動小銃の存在を忘れたかのように再度0から今後皇軍は7.7㎜だね!と自動小銃の試作を始める痴ほうかな?と思わず言いたくなる迷走をし時間を無駄にしたため結局当時の列強では唯一自動小銃の制式化、量産が遅れに遅れ満足に配備することなく終戦になります(フランスもイタリアもイギリスも一定数量産してる)、単に作る気がなかったというより作りたいが表面上(書類上の数字の)戦力増強を優先した為個々の火力増強による能力向上を無敵皇軍なら小銃でも連射で対抗できると珍理論で押し通し(いやほしいからしつこく30年代に4種類も試作したんじゃないのかとツッコミたい)、とりあえずは物になった甲乙案を再度量産検討してればすんなり製造ができたのにしなかった怠慢の結果です
英仏の自動小銃ってあったっけ?WW1の時の話?、WW2で配備されてるのは知らないから教えて欲しいな
お答えします、イギリスはハウエル自動小銃を本土防衛隊に、フランスがMAS-38/39自動小銃を極少数装備してたはず(量産開始か先行生産型、あるいは試作の類かもしれんが試作にしては多すぎる50~丁程度が部隊に渡されてる、製造開始が40年5月と遅すぎて数が揃わず)、イタリアはおなじみPGが少数特殊部隊向けに限定生産(+輸出)、 イギリスは連邦制度をしいてるのは御存じかとおもうがニュージーランドも開戦直後に一定数量産してる(が火災でほぼ全焼、その後は不明)、当時の同じくイギリス連邦の南アも量産してます、解せないのは日本はピターゼンのライセンスを取得し独自改良も成功したのに6.5㎜だからと製造を見合わせ38~40年段階でも6.5㎜弾は日産(クルマの方じゃないよ?)で内地、満州で10万発単位で製造中で、結果論で言えば39年時点でも試製小銃は制式化(仮制式でも良い)し生産をしてもなんら不都合は無かった点(前線に出回れば有効性は明らかで本生産の圧がかかったのは想像に難くない)、満州はウラがイマイチ取れないがM1ガーランドのライセンスを戦前に取ってた説があるのでなんで形にならんかったのかが謎(ガーランドは迂回ライセンス取得なのか研究目的なのかもはっきりしない、ただ事実なら日本が一枚嚙んでいたのは間違いない)、調べてたら日本軍が82㎜.150㎜迫撃砲(月産80門砲弾40万)の製造ラインをまるっと無傷で太平洋戦争前に接収してた(他武器含めると当時の日本陸軍向けの2割の総製造能力に相当する東三省兵工廠をGETした日本軍in後の奉天工廠)論文みつけて吹いた、なんで82㎜、150㎜そのまま現地向けで限定採用せんのだと、特に150㎜なんか好みだろとツッコミたい・・・
イギリスはハウエルの再配備か、そういえばあったね、MASも少数とはいえ配備されてたのね、返信感謝
こちらこそありがとう、質問を叩き台にしらべると意外とわからん知らなかったことの再発見があったりして楽しいです、なんで日本軍は42年から戦車生産がぱっとしない、生産規模が横ばい縮小してくのか理由は一つは大発向け発動機に能力振り向けてたせいだとか色々見てたはずで覚えてないことを再確認できて有意義でした。
マジで今と変わらない理由の利権関係で量産されなかった説ありそうやわ 工廠だからどこの懐に金入るかわからんけど
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自動小銃丙はほぼ正式採用直前までいってたのしらんのかな?昭和11年時点で甲丙案に絞り最終調整の項目が決定、開発を継続してたが昭和13年の中国戦からの国家総動員法が制定され師団増強編成に迫られ同時に開発してた99式小銃やら軽機の7.7㎜に統一するという方向性が決まった為既存の38式、99式小銃を作らんことには師団編成ができないという理由だけで自動小銃開発は最終審査たる耐久試験もクリアしたのに量産棚上げ採用見送りという悲運にあってる、シナ事変が盧溝橋事件止まりで文字通り事変レベルで終わってくれてれば(そもそも中国軍が停戦後に上海租借を包囲し一度結んで正式に謝罪もした盧溝橋事件の停戦協定無視して租借内部の上海陸戦隊と居住民に攻撃し始めた時点で収拾つかないが)開発があと半年~1年早ければ量産化はされてたのは間違いないレベルまで進んでた(上記理由で量産見送り)、非常にもったいないなとは思う、そしてM1ガーランドの存在とソ連の自動小銃量産開始が近いとの情報を聞きつけてわずか2年後39年には6年かけた自動小銃の存在を忘れたかのように再度0から今後皇軍は7.7㎜だね!と自動小銃の試作を始める痴ほうかな?と思わず言いたくなる迷走をし時間を無駄にしたため結局当時の列強では唯一自動小銃の制式化、量産が遅れに遅れ満足に配備することなく終戦になります(フランスもイタリアもイギリスも一定数量産してる)、単に作る気がなかったというより作りたいが表面上(書類上の数字の)戦力増強を優先した為個々の火力増強による能力向上を無敵皇軍なら小銃でも連射で対抗できると珍理論で押し通し(いやほしいからしつこく30年代に4種類も試作したんじゃないのかとツッコミたい)、とりあえずは物になった甲乙案を再度量産検討してればすんなり製造ができたのにしなかった怠慢の結果です
英仏の自動小銃ってあったっけ?WW1の時の話?、WW2で配備されてるのは知らないから教えて欲しいな
お答えします、イギリスはハウエル自動小銃を本土防衛隊に、フランスがMAS-38/39自動小銃を極少数装備してたはず(量産開始か先行生産型、あるいは試作の類かもしれんが試作にしては多すぎる50~丁程度が部隊に渡されてる、製造開始が40年5月と遅すぎて数が揃わず)、イタリアはおなじみPGが少数特殊部隊向けに限定生産(+輸出)、
イギリスは連邦制度をしいてるのは御存じかとおもうがニュージーランドも開戦直後に一定数量産してる(が火災でほぼ全焼、その後は不明)、当時の同じくイギリス連邦の南アも量産してます、解せないのは日本はピターゼンのライセンスを取得し独自改良も成功したのに6.5㎜だからと製造を見合わせ38~40年段階でも6.5㎜弾は日産(クルマの方じゃないよ?)で内地、満州で10万発単位で製造中で、結果論で言えば39年時点でも試製小銃は制式化(仮制式でも良い)し生産をしてもなんら不都合は無かった点(前線に出回れば有効性は明らかで本生産の圧がかかったのは想像に難くない)、満州はウラがイマイチ取れないがM1ガーランドのライセンスを戦前に取ってた説があるのでなんで形にならんかったのかが謎(ガーランドは迂回ライセンス取得なのか研究目的なのかもはっきりしない、ただ事実なら日本が一枚嚙んでいたのは間違いない)、調べてたら日本軍が82㎜.150㎜迫撃砲(月産80門砲弾40万)の製造ラインをまるっと無傷で太平洋戦争前に接収してた(他武器含めると当時の日本陸軍向けの2割の総製造能力に相当する東三省兵工廠をGETした日本軍in後の奉天工廠)論文みつけて吹いた、なんで82㎜、150㎜そのまま現地向けで限定採用せんのだと、特に150㎜なんか好みだろとツッコミたい・・・
イギリスはハウエルの再配備か、そういえばあったね、MASも少数とはいえ配備されてたのね、返信感謝
こちらこそありがとう、質問を叩き台にしらべると意外とわからん知らなかったことの再発見があったりして楽しいです、なんで日本軍は42年から戦車生産がぱっとしない、生産規模が横ばい縮小してくのか理由は一つは大発向け発動機に能力振り向けてたせいだとか色々見てたはずで覚えてないことを再確認できて有意義でした。
マジで今と変わらない理由の利権関係で量産されなかった説ありそうやわ 工廠だからどこの懐に金入るかわからんけど