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【震災7周年】当時の記憶を語りましょう【風化防止】 / 2

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メガゴルダック◆KyUpmG9.1 2018/03/11 (日) 07:20:30

自分も当時小学5年生で、授業中に大きな揺れが来て皆すぐ机の下に隠れた。
揺れが長くて気持ち悪かった。先生がすぐ教室のテレビを付けてNHKをかけた。
最初テレビつけた時ミヤネ屋やってて、宮根誠司の顔でなんか皆笑った。学校でテレビ見ると笑いの焦点下がってCMとかで笑うよね。
そしてすぐ家に帰ることになって、各々の保護者が迎えに来るのを待った。仕事とかで迎えに来られない保護者の子は、体育館で1日過ごしたらしい。当時自分は「楽しそう!」と思ったが、今考えるととても辛いはず。自分は普通に母親と帰った。
そうして家に帰ると、テレビで津波の中継をやっていて、家も車も何もかも流される非日常な光景、家のベランダから助けを求める人々や電柱に掴まる人などを観て、「これはただことじゃないな」と思った。
大好きなドラえもんも放送中止されて(イラついた)、どの局でもニュースをずっとやっていた。
自分は当時小学生なのにネットをよく見るマセガキだったので、まとめサイトとか見てネット民の発言とかを見ていた。
千葉県のコンビナートが炎上している中継や、福島第一原発の爆発なども見て衝撃を受けた。
でも少しこのあり得ない状況に、非日常に、ワクワクしてる自分もいた………。
その頃公共広告機構のあいさつの魔法のCMがアホみたいに放送されまくっていて、無意識に「こんにちはこんにちワン!ありがとうありがとウサギ〜」と歌うようになってしまっていた。
あと、YouTubeにさよなライオンとかのポポポポーンのキャラがロボット化する動画とかあってそれを見て親父とゲラゲラ笑っていた。
うごメモでもポポポポーンのメモが流行って自分もいくつか投稿した。
近所のスーパーでは高齢者達による買い占めが行われていて、「何だこいつら」と思った。
あと春休みに親父が「心配だろうからじいちゃんばあちゃんに顔見せたり。ここは放射能まみれだしな。俺は仕事やから行けんけど」と言って自分は両親の実家に帰った。
親父は今も東北の魚介類や農産物は放射能があると言って買うのを拒む。そのため自分もそう考えるようになった。もう大丈夫だとは思うが、やっぱりすこし怖い。
あの時日本は1つになった気がした。また南海トラフだの首都直下だのですぐ巨大地震は起こると思うけどその時も日本国民一丸となって立ち向かおうではないか!!!!!
自分は0メートル地帯に住んでいるので津波は恐ろしい。

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