『紅霞後宮物語』の「本編」全14巻、前日譚「第零幕」全6巻読了に伴っての感想を3つ(2023年11月には、外伝短編集発売の予定あり)。
感想
1、刊行の仕方が悪い
前日譚「第零幕」が出る前は、刊行間隔も短く、ストレスなく読めていた。ただその後は、「本編」「第零幕」が相互刊行で、各年1回。そのため、「本編」「第零幕」のストーリーが進むのが、おのおの1年後となり、ストーリーを忘れがちになる。
後述の通り、本編は「第八幕」で終わらせるか、少なくとも「休止」し、前日譚「第零幕」を連続刊行するべきだった。
現在では、全巻まとめ買いし、一気読みできるので問題はない。しかし、刊行ごとに買っていると、ストーリーが進まない、分からないで、ものすごいストレスだった。
2、突然の方針転換で、作者と読者の認識に齟齬ができた
本編「第八幕」までは、幼い子供が陰謀に巻き込まれて、命を落とす悲劇展開もあったが、主人公(小玉)が勝っていたので、それが相殺されていた。
ただ、「第九幕」以降は、主人公が勝ち切れない(負けはしないが)、ストーリーが進行しないで、イライラ、モヤモヤ展開。
しかも、作者・雪村花菜氏は、「前日譚『第零幕』こそが“本編”」と言い出してくる。
「本編」「第零幕」を全巻読了した今としては、織田信長、源義経、劉備といった、「強いけど負けた、少なくとも勝ち切れなかった」として、“悲劇の英雄”に祭り上げられた人物の「実像」を描こうとしたのでは? と感じる。
だが、それが感じられたのは、“全巻読了後”である。「第一幕」「第二幕」ぐらいの早い段階で、それが伝わってくれば、ストレスにも感じなかったかもしれないし、別の評価ができたかもしれない。
本編「第八幕」までは、「ポッと出のおばさんシンデレラ(小玉)が、武功を立てて、“女子校の憧れの女教師”的立ち位置」を得る話、と認識していた。これを楽しみに読んでいたので、「第九幕」以降の方針転換には、とまどったし、ストレスの塊だった。
まだ、漫画版のほうが期待に近かった。
3、伏線未回収が酷い
本編「第九幕」以降の「第二部」は、小玉対鳳(小玉の殺害を企て、死罪を命じられたが、後宮から脱出した廃太子)の話、と認識した。
だが、最終巻の「第十四幕」に至っても、小玉と鳳との直接対決は描かれなかった。
これが伏線未回収の最たるもの。
それどころか、鳳は途中で姿が消えてしまった。しかも、エピローグでは、いきなり後の世代になり、鳳の子孫が、小玉側に勝ってしまっている。それも、その過程がほとんど描かれていない。
刊行の仕方の悪さもあり、ストーリー進行が遅く、エピローグでは“意図的に”話も、登場人物もぼかされ、ストーリーが理解できなかった。
2023年11月刊行予定の「中幕 愛しき黄昏」も、事前情報を読む限り、伏線が回収される見通しはない。
正直言って、繰り返しになるが「本編」は、「第八幕」で終わらせるべきだった。そして、前日譚「第零幕」に移行すべきだった。
大河ドラマで、織田信長が本能寺の変で、明智光秀に討たれても、ストレスには感じない。それは、「史実を知っていて、結末が分かっているから」だ。
「おばさんシンデレラが無双する話」として認識していたのに、突然勝ち切れなくなって、最後には完敗ではないにせよ、負けてしまっている。
作中世界の人間なら、「史実」として、それを知っているから、それほどストレスにはならなかったのかもしれない。
ただ、読者は「作中世界の人間ではない」。したがって、あとがき含めて、大河ドラマのナレーション的に、小玉の運命が多少は先書きされていたとはいえ、この展開はストレスだった。ただし、運命先書きで、かろうじてつなぎ止められていた。