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36a²の小説置き場 / 31

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6×6=36 2020/04/11 (土) 23:14:00 修正

    伍

    すっかり空は暗くなっている。後ろ向きに歩いてくる白羽とすれ違った時。心地よい温度の夜風が、興奮で少し火照った荒田利玖の頬を冷やす。
    左足を少し前に、剣道の中段構えを左右反転したような足の配置で立ち止まる。目の前、2歩ほど先には自分より少し頭の位置の高い男。利玖は夜目が利く方ではない。なので、コンビニの光で逆光となっている男は、利玖にはシルエットしか見えていない。
    だが、問題ない。仄かな興奮に刺激された利玖の全神経が、目の前の男の気配と殺気を明瞭に捉える。居心地のいい空気。意識しなくとも、自然に口角が上がってゆく。
    男が近づくことで、二人を隔てる空間が、互いの手が容易に届くほどに押し込まれた時。腰を時計回りに思い切り振り切る。
    世界が廻る。右脚は一秒前と同じ位置に置かれている。ふたつの瞳が再び男を捉える。
    刹那、置き去りにされた右脚が遅れを取り戻さんと速度を上げて男の顔へ迫る────!
「今度はなんだ────っおぉ!?」
────空を切った(・・・・・)右脚が一秒前と同じ位置に戻る。
    一瞬遅れて、男の尻がアスファルトに接地する。その顔には、「恐怖」という文字が貼り付けられているようだった。否、それは恐怖以前の「驚愕」だったかもしれない。
    身体の軸をぶらさず、容易に相手の顔面の高さまで足を届かせる回し蹴り。利玖が修得している格闘技、カポエイラの基本的な技「アルマーダ」だ。脚を高く上げる仕様上、近い間合いでも空振り(・・・)ができる。
    決して無意味な暴力は使わない。それは昔から、白羽との暗黙の了解だった。血の気が多く闘うことは好きだが、利玖も暴力は好まない。
「何してんだてめぇ」
    後ろからもう一人の男が歩いてくる。長めの得物を右手に持っているが、殺気には鈍りがある。先の光景への怯えを、虚勢で誤魔化しているつもりなのだろう。
    男は虚勢を振り切るように、バットを振り上げながら大股に迫ってくる。
    振り下ろされるバットの手元を直感──本人曰く、野生の勘──で先読みし、両腕と腰を揃えて時計回りに回しながら、上半身とは逆向きに振り上げる右脚の先で手元を狙う。
「────っ!?」
    バットを的確に蹴り飛ばしたことを、脚の神経が脳髄に伝えるより早く、上半身と右脚を元の位置に戻す。
    得物を手元から失ったことで、男は驚愕の表情を浮かべ、動きを止める。当然の反応だ。その隙は逃さない。
    一撃目の勢いを殺さぬように、再び腰とともに上半身を回転させる。
    一度の暗転を経て、両眼で数センチ上の相手の顔面を認める。
    一度目の蹴りの反動を逃がすように、回りそこねた右脚を相手の顔面に向けて解き放つ。
「────っう!?」
    戦闘の興奮で活性化した動体視力によって、右足が相手の目前数センチを通過したのを知覚する。
    二人目の男が尻餅を着く前に、空を切った右脚を再び定位置に戻す。
    男の表情まで、一人目の焼き直しだった。
    前方への蹴り技「メイア ルーア ジ フレンチ」から「アルマーダ」の連携だ。勿論、アルマーダは空振りだし、一撃目もバットを蹴っただけで相手の手には掠りもさせていない。
    戦闘とも言えないやり取りではあったが、実戦という緊張感のなかで、「空振り」という当てるよりも難しいことをやってのけたという快感は、確かに利玖の頭に心地よい痺れを与え、自然と利玖の口角も上がり、軽薄な言葉が口を飛び出す。
    自覚できるほど緩みきった満面の笑みで、利玖は言う。
「さ、お話しようか」
    自分の背後から聞こえた微かな話し声は、決して利玖の耳に届くことは無かった。
    街路樹を吹き抜ける深夜の冷たい風が、利玖の頬から熱を奪っていった。

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