2月上旬。
「おイ」
ギドィルティ・コムが、何やら派手な色合いの紙をかざしてきた。
自宅で武器の手入れをしていたイーサンは、視界を遮った紙をろくに見もせず手で払いつつ、時計に目をやった。
昼食を摂ってから1時間弱たっている。
普通の人間であれば空腹を感じるには早いタイミングだが、底の見えない胃袋が人の形をとっているようなギドィルティ・コムからすれば、もう十分すぎるほど腹が減っているのだろう。
「今は手が離せないから、ちょっと待て」
機嫌を損ねて物理的にかじりつかれても面倒だが、ちょうどAA-12を分解し、パーツを並べたところだ。
コイツの前に大事な商売道具をバラした状態で残して離席できるほど、俺の神経は図太くできていない。
が、神経が非常に雑にできているであろう目の前のサーヴァントは、そんなイーサンの気持ちには毛ほども配慮せずに、パーツが乗った机をバンバンと叩き、先程の紙を目の前に突きつけてくる。
「そんなオモチャはどうデもいいかラ、これヲ見ろ」
「お前、○○○○(馬鹿野郎)!やめろ!」
イーサンは慌てて机を叩くギドィルティ・コムの手を掴み、無口で思ったとおりに動いてくれる方の相棒への暴虐を止める。
そして、眼前の紙をひったくり、目を通す。
「バレンタイン……」
それはピンクを基調に、茶色やベージュがあしらわれたチラシだった。
そこに並ぶのは、「VALENTINE'S DAY」の文字と、容器に収められたチョコレートたち。
しかし、その華やかな紙面とは裏腹に、チラシ自体はくしゃくしゃと折れ、水シミが目立つ。
「これ、どっから持ってきた」
「町のほうニ行っタら落ちてたゾ」
「ほう」
「それニよると、2月14日にハ、大事ナ相手にチョコレートをおクるらしいナ」
ギドィルティ・コムは、どことなく楽しそうな表情を浮かべ、目には何かを期待するようなきらめきを含ませている。
イーサンとギドィルティ・コムの視線が絡み合う。
そこにあるのは恋する乙女のように可愛げではなく、冬眠を終えた熊のような純粋な食欲だけだった。
「チョコレートを寄越せって話だろうが、ダメだな」
「オいおい、連れなイな。この間なんテ同じベッドで寝たなかダロ?」
「変な言い方を覚えてんじゃねえ!この前のは俺のベッドに寝ぼけたお前が勝手に入ってきただけだろうが!しかもついでに腕をまるかじりしやがって!いくら再生するといっても何も感じないわけじゃねえからな!?」
「…………」
ギドィルティ・コムは反論するでもなく、胸の前で手のひらを合わせて指を組み、いつもの笑みを収めた殊勝な表情でイーサンを見上げてくる。
「……なんだそれ」
「…………」
「…………」
妙に緊張感のある時間が流れる。
「…………男はコういうのが好きナんだろ?」
「……そんな余計な知識をどこで仕入れてきやがった」
「落ちてたマンガ雑誌ニのってたゾ」
最近、何やら寝転がって本でも読んでいると思ったらそれだったのか。
肉食獣に下から睨めつけられてときめく男はいねえ、と返そうとしたイーサンだったが、もう面倒になったので、その問題には触れないことにした。
「……まず、バレンタインデーってのは、女が男にチョコを贈るもんだ」
「む、そウなのカ?」
「ああそうだ。イベントを口実に食い物を要求するなら、そのルールに従ったらどうだ。そうでもなきゃ、普段から腹が減ったと喚いてるのと変わらねえぞ。そんで、チョコレートをもらった男が女に菓子を贈り返すのが3月14日のホワイトデーってやつだ」