ハロウィン。ケルト系の人々の間で執り行われた祭祀を起源とする民間行事、と、辞書を引けば書いてある。が、そんな学術上の話を今日するのは野暮天というものであろう。
お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ、と子供達がご近所を巡る風景も、世界改変前にはあまり見られなくなっていたのだが。「天王寺」、旧新世界にあっては、住人同士の距離が近づいた為か、町内会がハロウィンを主催するようになっていた。
この家でも、玄関先にハロウィン参加者であることを示すジャック・オ・ランタン(キャスターのサーヴァントが作成した本物の魔除け機能付き)が飾られているため、何人かの子供達に市販のお菓子を分け与えた。コンコン、とノックの音がしたのは、また新しい来訪者であろう。
「はいはい、どちら様かな――」
「せんせー!!! トリックオアトリートォ!!!」
「うおぉぉぉぉぉっ!?!?? ……こ、ココノちゃんとツクシか」
「御免なさいセンセイ。トリックオアトリートです」
……馴染み深い顔が、トリートを与える前にトリックを仕掛けてきたのも、まぁ、いつも通りといえばいつも通りの光景。ココノは、もふもふの手袋と犬耳カチューシャをつけた狼女。ツクシは……魔女であろうか。とんがり帽子に小さな魔法の杖を携えている。
常にはこんな行事に顔を出すような子でもないと思っていたのだが、ツクシには嫌がっている様子もない。彼女なりに楽しんでいるようで何よりである。
「ほらせんせー、お菓子くれへんかったら悪戯やでー!」
「擽りの刑くらいは、覚悟してくださいね?」
……しかし参った。先程お菓子を切らしたので、今まさに買いに行こうとしたところなのだが。その旨を告げようとすると、後ろから歩み寄る足音が聞こえる。
「あら。こんばんは、ココノさん、ツクシさん」
割烹着を着た彼女だった。いつの間に繕ったのか、前掛けにはハロウィンらしく南瓜のアップリケがくっついている。今日は夕暮れから何やら台所に篭っていたようだが、どうしたのだろうか。
「あ、卑弥呼さん! こんばんはぁー!!!」
「お菓子をくれないと悪戯です、なんて、貴女に言うのは失礼でしょうか」
少女達が彼女にお決まりの文句を言う。半分程冗談交じりだったようだが、彼女はにっこりと微笑むと、懐から何やら小さな袋を取り出した。
「はい、では、可愛い狼さんと魔女さんに、お菓子をぷれぜんとしましょう」
「えっ? 本当ですか?」
「おーやったぁーっ! せんせーからやなくて卑弥呼さんから貰えた!」
ぽすりと、少女達に手渡す袋からは、微かに甘い匂い。少女達に説明して曰く、南瓜を練りこんだくっきー、らしい。そういえば昨日、買い物袋の中にそれらしいものを見かけたが……。まさか、こういう時の為に作っていたのだろうか。
はしゃぎながら駆け去っていくココノと、一礼してそれを慌てて追いかけるツクシ。二人を玄関口で見送りながら、隣で手を振る彼女を見やる。
「いや、有難い。お菓子を用意してくれとったんですな」
「えぇ。子供達が沢山来たら、昨日買った分ではきっと足りなくなるでしょうから」
微笑む彼女の手際の良さと気配りには、感服する。『千里眼』を使った訳ではあるまい。それを使うまでもなく、不足することを分かっていたのだろう。その辺は、些かばかりずぼらな自分とは比べもののにならないほど頼りになる。
「他の子供達に一通り配り終えたら、お夕飯にしましょう。今日は、かぼちゃを使った料理に挑戦してみたんですよ」
「これはこれは。是非ともそれを楽しみにさせて頂きましょか」
……こんな日常を送ることになるとは、思ってもみなかった。少し前の己を顧みて、改めて思う。些細なことで笑いあって、当たり前のような幸せを享受できる、そんな日が来るとは。
何となく、しんみりとした気分になっていると、突然思い出したように彼女が言い出した。
「嗚呼。そういえば、私も言おうとしていたんです」
「はて。何をです?」
くるりと、此方に向き直り。どこから取り出したものか、鏡で自分の顔を下からライトアップしつつ、手をだらんと前に垂らして幽霊のポーズ。そして、
「とりっくおあとりーと!」
「……む」
やや、面食らう。こんな風に、自分も実践する側に回るとは思っていなかったが。暫し、驚いて呆然としていると、鏡をいそいそとしまいつつ、態とらしく彼女は言った。
「ああ、でも、亨さんはお菓子を持っていないんでしたね」
「はぁ。まぁ、そうなりますな」
「じゃあ……」
にんまりと。普段からは想像もつかない茶目っ気に満ちた笑顔で、彼女は言った。
「悪戯、しちゃいますね?」
――その後、「普段あまり笑わないから」という理由から、彼女に擽りの刑に処され、結果として家の外で阿呆らしいほどの大音声の笑い声を響かせることになってしまったが。まぁ、彼女の楽しそうな顔を思えば、些事であろう。