ゆめをみる。おとなになったしいなが、げんきにはしりまわるすがたを。
それはみらいのゆめ。しいながきれいに、そしてたくましくそだったみらいのゆめだ。
……いまのしいなは、しょうじきちょっとやんちゃむすめであばれんぼうだ。げんだいでは、めすがき?というらしい。
らーどーんは「ギリシャ的には普通」とか「まだ可愛げがあるほう」というけれど。わたしはやっぱり、ちょっぴりしんぱい。
しいなには、とくべつなちからがある。かんたんにひとをなげとばせるちから。かんたんにひとをきずつけられるちから。
そういうふしぎなちからには、それにふりまわされないだけのつよいこころがひつようだけれど、いまのしいなには、まだそれはない。
このままだと、しいなはちからにひっぱられて、いつかどこかでかなわないものにであって、そうしていたいめにあってしまうだろう。
いたいめにあうだけなら、まだいい。ひとはころんで、たちあがり、せいちょうするいきものだから。
けれど、このせかいには。いたいいじょうのことをするちからもいっぱいあるから。しいながしんじゃうかもしれないものがたくさんあるから。
だからそのとき、しいながたおれず、たちあがってまえにすすめられるよう、わたしはここにいるの。
だってわたしは、しいなのおねえさんだから。しんちょうはまけてるし、ことばづかいもおさないけれど。
それでも、じんせいけいけんは、わたしのほうがうんとながいから。
だから、しいな。わがままでかわいい、わたしのますたー。
これからさき、いろんなことがあるとおもうけれど。わたしとらーどーんがいっしょにいるからだいじょうぶ。
だから、しいなのだいすきな、おうごんのりんごのかれーをいっぱいたべて。ふかふかべっどでいっしょにすやすやねて。
これからもすくすくと、げんきいっぱいにそだってほしいな。
「もー、まだ寝足りないのー?……しょうがないなあ、あと一分だけだから!」
「んぃー……ねるこは、そだつって、いうからー……すぴー」
ゆめをみる。おとなになったしいなとてをつないで、げんきにはしりまわるみらいを。
そんなひがおとずれるまで、ずっと、しいなといっしょにすごせるひびを。