甘い期待感みたいなものは一瞬で吹き飛んでいった。
真ん中高めに浮いた半速球は見事にバックスクリーンまで一直線にかっ飛んでいった。かっきーんと。
「なんですかこれは!」
「なにって、私の部屋ですけれども………?」
「ぐちゃぐちゃだー!」
私の背後にいるクエロさんがさも不思議そうに返事をするのが逆に不思議でならない。
クエロさんの私室は端的に言って無秩序によって支配されていた。
部屋にはこれといって個人を象徴するような装飾はない。
まあ、クエロさんはこの聖杯戦争に合わせてやってきたピンチヒッターという話だからそれはそんなものだろう。
しかしある意味で実にこの部屋に住む個人らしい彩りになっていた。
下着や肌着、箪笥の上に放りっぱなし。洗って干したままなのだろう。畳んですらいない。
修道服も右に同じ。広げられて椅子に引っ掛けられているせいでどうにか皺になっていないのが奇跡だった。
本は床に積まれている。というか、そのうちの数冊は床に散らばってさえいる。
極めつけは、こちらにやってきた時のものであろうトランクケースが開けっ放しで転がっていた。
中にはまだ取り出されていない物や取り出されたのにそのままぽいっとトランクケースに放られた物が山を作っている。
まだ洗濯物やゴミが床に散乱していないのがマシだ。そんなひどい有様だった。
「クエロさん! 片付けようとか思わないんですかこれ!」
「ほわぁ………?」
ほわぁじゃないです。そんなぽかんとした顔をしても駄目です。
どうも彼女に会ってからきちんとしたところしか見てこなかったせいでクエロさんに対して完璧な人という印象が私の中にあった。
そんな像がガラガラと音を立てて崩れていく。こうして思い返してみると確かに予兆はあった。
洗濯物の籠に昨日の洗濯物が入れっぱなしになっていたりとか。干したものが夜になっても仕舞われてなかったりとか。
食事に関してはいつも美味しいものを作るのですっかり騙されていた。
「仮に私がこんなふうにしているところをお母さんに見られたら………見られたら………怖いですよ!」
「怖いんですか」
そうです。怖いのです。
思わず身の毛がよだつ。ここにきて母の顔が鮮明に思い出された。
母は全く怒った顔を浮かべない人だったが、同時に怒りん坊だ。母が怒った時の恐ろしさは父の比ではない。
私が部屋をこんなふうにしているのが見つかった暁には「こちらに来なさい梓希さん」と呼ばれてお説教が始まってしまう。
そうして淡々と諭されることのまぁ怖いことと言ったら。ちなみに父にも似た感じで怒る。あのいかめしい父がそんな母の前では尻尾を丸めている。
それを思い返しているだけで私はいてもたってもいられなくなった。駄目だ。我慢できない。
「クエロさん! 片付けをしますけれどいいですね!?」
「え?はぁ、まぁ、はぁい」
クエロさんがぼんやりと頷くのに合わせて部屋に突入する。ちなみに駄目だと言われても説き伏せて実行していた。
修道服はクローゼットへ。本を本棚の空いたところに詰め込み、下着類を箪笥に収納していく。
下着はどれもレースがあしらわれた大人っぽいデザインだった。先程までの私ならちょっとドキドキしながら手に取っただろうが、今の整理整頓の鬼となった私には通用しない。
箪笥の上で小山になっているそれらを解体した後はトランクケースだ。
ちょこまかと動き回る私を見ているだけだったクエロさんの腕を引っ張ってトランクケースの前に座らせた。
「荷解き! しましょう!」
「えー………でもぉー………別にこのままでも大丈夫じゃないですか~………?」
「よくありません! ちゃんと整理しないといざという時にどこにあったか分からなくなっちゃいますよ!」
そうですかねー、そうかもしれませんけどー、と曖昧なことを言うクエロさん。
分かってしまった。すぐ気付けなかった自分の愚かさに私は歯噛みした。
この人は自分ではちゃんとしているつもりだけれど本当は全然そんなことなくて、周りから見たらお世話が必要な人なんだ………!
「なんですかこの瓶、ケースの隅に入ってましたけど」
「あー、それ応急処置用の薬瓶ですね~。というかそんなところにあったんですね~」
「ほらやっぱり!」
このトランクケースのどこに入っていたんだと思わせる量の物品の仕分けに結局小一時間は費やすことになってしまったのだった。