「むっ、焼き鳥ですか。美味しいんですよねえ、私は塩で食べようかな!」
串カツ屋での一幕。
次々と熟れた手付きで串打ちを続けるクエロさんが差し出したのは、豚バラ肉と玉ネギを交互に刺したもの。
“やきとり”だ。揚げ物ばかりでは飽きが来るということで、ここで一本シンプルな焼き串を用意してくれたのだろう。
肉であることに変わりはなく、箸休めと分類するには些か重たいものであれど、今の私は何だって食べる。
それに豚肉は好物だ。特に塩胡椒で焼いたこの“やきとり”は、子供の頃から食べ馴染んだメニューの一つである。
うん、美味しい。この大阪であっても変わらぬ味わいに思わず頬を綻ばせる。
熱い内に食べ進め、最後に残ったブロックを器用に食べ……そこで、クエロさんが驚いたような表情を浮かべていることに気がついた。
「……焼き鳥?」
それは純粋な驚きの表情。
困惑というよりは認識の齟齬、理解のための“間”が生じているような逡巡の思考。
まるでコンピューターがデータ処理に手間取って生まれたシークタイムのような、奇妙な空白が生まれていた。
……クエロさんのこんな表情、初めて見たかも。
えっ、でも“やきとり”だよね。
私は生まれてこの方、これを“やきとり”だと信じて疑わずに生きてきた。
パパもこれが“やきとり”だと言って食べていた。ママも、そんなパパの言葉を信じて“やきとり”と呼んでいた。
同級生も、先生も、それどころか道すがらの居酒屋に掛けられた看板にだって“やきとり”としてこの串の写真が載せられていた。
だからこれが“やきとり”でしょ?そうだよね。……なんか、クエロさんに驚かれると自分が間違っているのかと疑いたくなる。
後日。改めてその名称の違和感を確かめるため図書館に出向いたところ。
豚串を“やきとり”と呼ぶのは北海道独特の文化で、それも一部地域に限られたものであるらしい。
…………思いがけぬカルチャーショックに気を失いかけた。そうなんだ、“やきとり”って……焼き鳥じゃなかったんだ。