とうとう死ぬのだと。その瞬間まで来て、ようやく悟った。
シスターさんは“気”を放つことができるのと同じくらい、ほぼゼロなまでに“気”を殺すことができる。
それは私の中でおそらく間違いないという認識に至っていた。
まだ私の立場ではその残滓をも掴めないくらい武術の高みにあるとか。私の想像もつかないような修羅場を潜っているとか。あるいは、エトセトラ。
どちらにせよ、剣道という在り方に身を捧げてきた私よりも「戦い」に染まった生き方をしてきたはずという予想は大きく外れてはいないだろう。
まるで本当に命の遣り取りを繰り返してきたみたいだ、と理性が言う。本能が言い返す。みたい、ではない。本当にそう振る舞ってきたはずだと。
そういう人なのではないだろうか、という疑問は九割方はきっとそうだろうと固まっていた。
発することについて操れる。でも感じ取る方は鈍感であろうというのはあまりに虫が良すぎる話だ。
私がいつどんなタイミングでこっそり教会を抜け出そうとしたって、彼女は平気でそれを察知しているに違いない。
昨日の朝の街への探索がそうだった。誰の気配も感じない、というのが今となっては逆に怪しかった。
誰かの気配と足音がした後に、それらがさも存在しなかったかのようにいなくなったことも。
ならば逆転の発想だ。教会にいては動きを察されてしまうならばそもそも当人が教会にいなければいい。
私は待った。辛抱強く待った。シスターさんが夜更けにこの教会から立ち去っていくのを。街の方へ歩んでいくのを。
可能性に賭けた。そうするかもしれないという可能性に。そして賭けに勝った。
窓に映ったシスターさんの小さくなっていく後ろ姿を見て思わずガッツポーズを固めてしまったくらいだ。
彼女が十分に離れたのを確認してから、意気揚々とその後を追いかけたのだ。
シスターさんはこの大阪における「異変」へかなり深いところまで食い込んでいるはずだ。
きっとあの人は私の知らない多くを知っている。昔から勘に関しては鋭かった。彼女を知れば、おのずと今大阪で起きていることも分かる。
だから彼女の行く先には、きっと「何か」があるはずだ。そんな勘を信じ切っていた。
胸に宿るのは恐ろしさ。それを上回る好奇心。興味。高揚。その他、言葉にできない感情の数々。
行くな、と本能が叫び、行こう、と理性がそれへ麻酔をかけていた。
───私の読みは正しかった。そして、その時点でどうしようもなく詰んでいた。