漆黒の魔女はつい先程一仕事終えたばかりの「それ」を目にして、久方ぶりに一方たじろいだ。
魔女の目には黒い靄にしか見えないそれは短剣を手にゆらりと(恐らくは)立ち上がった。
ぎろり、と靄の双眼が魔女を見る。
敵意はない。ただ、じっと興味深そうに魔女を見ていた。
「……私も殺すのか?」
魔女の口からふっと口から言葉が漏れ出る。死など縁遠いものとなって随分経つのに。
「いや 君は…… 何れ 君に 晩鐘が聴こえる 時が 来たとしても それを鳴らすのが 私とは 限らない。 そして 今ではない 」
途切れ途切れのノイズのような声、双眼の視線が魔女から外れる。
黒い靄の中で月光に反射する短剣を納めると、靄は闇の中に溶け行くように消え去った。
「……やっぱり、彼が来たのね。ああ、貴女、誰かは知らないけど助かったわ」
それから暫くして呆然と立ち尽くす魔女の元に現れる人影があった。
青い髪の巫女のような衣装を纏った彼女は天羽々斬。セイバーのサーヴァントにして、抑止力の守護者でもある。
彼女は一目で異質と分かるであろう魔女に対しても礼を言うとにこやかに話し掛ける。
「……あんた、私の事が気にならないのか」
魔女の言葉に天羽々斬が口の端を歪めた。
「サーヴァント…いえ、抑止力の守護者って貴女と同じようなものなのよ。たった一つの願いと引き換えに、人理の終わりまで永遠に戦い続ける。 そういう契約。だから貴女みたいな存在は私達に取っては良くあることなのよ。 最新の魔女さん」
「……そうか。 あんたらも大概なんだな」
羽々斬の言葉に頷くと魔女は背を向ける。
「……漆黒の魔女! 今回のお礼も代わり一つ教えて上げる! 生きるのが、存在し続ける事が苦痛となったら、サーヴァントを、さっき見た彼を呼びなさい!」
魔女の背に向かい、羽々斬は叫んだ。まるで未練を絶ち切る為に、後悔をしないように。
「サーヴァントが私を殺せるの?」
「彼はね、命ではなく…『記憶』を殺すのよ。 それが誰からも忘れられたもの。忘失のハサン」
「……ああ」
羽々斬の言葉に漆黒の魔女は納得したように頷くと無言で立ち去る。