『あれ? 塾長出掛けるんすか?』
「うん、ちょっと野暮用でね。人に会う約束があるんだ」
『デート? 塾長デート?』
「ははは、私が?ないない。ま、すぐ戻るからさ、いい子にしてるんだよ、みんな」
そう言って綺羅星の園塾長、ホロシシィが発ったのが、数刻ほど前の出来事である。
野を超え、山を越え、人里離れたぽつんと佇むカフェテリアへと辿り着く。
その座席に、"それ"はいた。口元を布で隠した、鋭い刃のような視線を持つ男だった。
「相変わらず、その捩れ狂った魔力は変わってないようだな」
「君こそ。その全く隠す気のない殺気、変わってないみたいだね」
「それはお前だからだ。素性を隠して意味がある相手ならば、俺も仮面を被るさ」
そっけなく男は呟いた。肩を竦める仕草をしながら、塾長は男と対面する形で座席に座る。
「見た目こそ変わってないが、お前とやり合ったあの日から変わった物もある」
「……へぇ、それは興味深い。例えば何だい?」
「名前さ。今は、Dr.ノン・ボーンと呼ばれている。そう呼んでくれよ」
男が名乗ったそれは、魔術社会では知らぬ者のいない名であった。
「あぁ、その名、君だったのか。知らなかったよ……そう言えば、君の素顔も私は知らないな」
「…見ても面白いものじゃないが、見たいのか?」
「君がいいなら、うん」
ノン・ボーンの言葉に、ホロシシィは頷いた。ノンボは嘲るように笑いながら布を捲った。
「おおぅ……茶のおやつに見るもんじゃなかったな。何故、修復していないんだい?」
「不治の呪いだ。俺という存在の頭部、その顎から下が"治癒できないもの"となっている」
「なるほど。道理を超えて結果を生むモノ、か。……魔女のやり方だね?」
「ああ。奴はユミナに連なるタイプ…だったか。確か、お前は違うんだったな」
「……ああ、違う。恋をしたら醜い老婆になるような魔女とは、私は違うさ」
「是非とも、その"秘訣"を知りたいところだ。メイソンへの手土産になる」
そう言うとホロシシィから、確かな殺気が放たれる。
それに対し、冗談だと静かに肩を震わせ、ノン・ボーンは笑った。
その姿を、ホロシシィは珍しいものを見るような目つきで見ていた。
「へぇ、君も、そんな風に笑う事があるんだね」
「俺だって"人間"だからな。そう言うお前は、どうなんだ?」
ノン・ボーンの問いに、ホロシシィは自嘲めいた笑みを浮かべてから。
「さぁね。ただ、笑うのは人間の特権じゃないさ」
と答えた。
「ではドクター?今日、私をわざわざ呼び出した理由を聞こうか。
まさか、また殺し合おうなんて言うんじゃないだろうね」
「冗談はよせ。もう2度と、お前のような化け物と戦うのは御免だ」
どの口が言う、とホロシシィは笑った。ノン・ボーンは表情を変えずにそのまま続ける。
「端的に言おう。俺たちは今、力ある魔術師を集めている。お前、俺たち側につく気はないか?」
「へぇ、何を企んでいるんだ? 確かメイソンについたんだろう君。どんな大惨事をしでかすつもりだい?」
「新世界を作り上げる」
へぇ、と興味深げにホロシシィは目を細めた。
「お前は……この世界に居場所が無い存在だと、少なくとも俺は理解している。
そんな腐った世界を、望む新世界へ変えてみたくはないか?」
「……新世界、ねぇ」
物憂げに、ホロシシィはカップを傾けながら空を仰ぎ、自分の過去を想起する。
常人の数十倍の記憶野からは、様々なものが浮かび上がるが……その中に、一際輝くモノがあった。
「まぁ、昔の私なら乗っていただろう。……だけど、当面はお断りだ」
そう言ってホロシシィは立ち上がる。その脳裏に浮かぶのは、自らの受け持つ生徒たちの顔だった
「私が望む新世界は、今まさに「手に入っている」から、ね」