法介
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2023/10/02 (月) 09:25:42
と、その前に「五時」について『ウィキペディア』で次のようにも書かれております。
「今日の仏教学では五時説は歴史的事実とは認められないが、日蓮宗の宗学的には仏教学の成果をどのように受容するかという新たな課題を生んでいる。」
しかし、五時説は歴史的事実にもとづいた説ではありません。
歴史的事実と言いますのは文献学的な見解でして、経典がいつ書かれたかといった事実関係をいいます。お釈迦さまの説法は全て釈迦滅後に「結集」によって経典化されておりますので、文献学的史実に基づいて経典が説かれた順を定める事はまずもって不可能です。
五時説はそのような文献学的史実からの順序だてではなく、「経典に説かれている内容」から分析区分した教判となります。こちらの「崔 箕杓 論文」では次のような主張に基づいて五時の検証がなされております。
天台五時教判の根拠と意味 崔 箕杓
https://www.min.ac.jp/img/pdf/labo-sh17_27L.pdf
おびただしい数の経典を読解して比較するという作業自体が恐ろしく膨大なものであり、歴史を記録しないインドの風土においてはそもそも歴史的な証拠というものは十分には残っていないので、非常に困難な作業となるであろう。それよりも説法の内容のなかに年齢や年月など具体的な時期を明らかにするセンテンス(文)が存在することが知られているから、それらを根拠とするほうが、量的には多くはないとはいえ客観性が高いと言うことができよう。(プリント下部 No.28)
論文の検証内容に関しましてはこちらで要点を拾い上げて紹介しておりますので宜しかったらご覧ください。
サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想
https://zawazawa.jp/bison/topic/17
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