では、自相である「阿頼耶識」は、と言いますと、
逼計所執性・依他起性・円成実性からなる三性説です。
>> 12の「執蔵=執我の義」が、逼計所執性で
>> 13の「所蔵=受薫の義」が、依他起性で
>> 14の「能蔵=持種の義」が、円成実性となります。
この第八識の三つの呼び名には更に深い意味が含まされております。
果相の「異熟識」と呼ぶ場合、そこでの境涯は声聞です。
因果の〝果〟としての種子が時間の変化(異時熟)でその姿が変化し(変異熟)、前六識で転変(第三能変)し現行して顕れる分別の色相(姿・形・風景)です。
因相の「種子識」と呼ぶ場合の境涯は縁覚です。
種子生現行(順観)と現行薫種子(逆観)の縁起を
「色即是空」と「空即是色」として覚った境涯です。
自相の第八識は、別教の菩薩の境涯で覚る「阿頼耶識」です。
>> 32
阿羅漢(菩薩)は、その「阿頼耶識」という呼び名を捨てて、仏の覚り(大円鏡智)を得ると言います。
大乗の菩薩(別教の菩薩)は、二空で主観と客観を空じ仏の空観へ意識が入ります。
そして法空を覚る事で第八識が「阿頼耶識」と変わります。
順に示すと次のように第八識はその呼び名が変ります。
析空で変化を見ることで第八識が「異熟識」となり、---(声聞の智慧)
体空で因果を観ることで第八識が「種子識」となり、---(縁覚の智慧)
法空で我と法を空じる事で第八識が「阿頼耶識」と変わります。---(菩薩の智慧)
この三乗の智慧が開かれてはじめて究極の仏の智慧が顕れます。
どこに顕れるのかと言いますと、
第八識に無為の法として「大円鏡智」として顕れます。
「大円鏡智」として開かれる第八識については後ほど詳しくお話しようと思います。
ここでは唯識の意見が分かれる有相・無相の問題を
まづは取り上げてお話を進めて行きたいと思います。
『成唯識論』第二講 へ続きます。 https://zawazawa.jp/bison/topic/33
では、自相である「阿頼耶識」は、と言いますと、
逼計所執性・依他起性・円成実性からなる三性説です。
>> 12の「執蔵=執我の義」が、逼計所執性で
>> 13の「所蔵=受薫の義」が、依他起性で
>> 14の「能蔵=持種の義」が、円成実性となります。
この第八識の三つの呼び名には更に深い意味が含まされております。
果相の「異熟識」と呼ぶ場合、そこでの境涯は声聞です。
因果の〝果〟としての種子が時間の変化(異時熟)でその姿が変化し(変異熟)、前六識で転変(第三能変)し現行して顕れる分別の色相(姿・形・風景)です。
因相の「種子識」と呼ぶ場合の境涯は縁覚です。
種子生現行(順観)と現行薫種子(逆観)の縁起を
「色即是空」と「空即是色」として覚った境涯です。
自相の第八識は、別教の菩薩の境涯で覚る「阿頼耶識」です。
>> 32
阿羅漢(菩薩)は、その「阿頼耶識」という呼び名を捨てて、仏の覚り(大円鏡智)を得ると言います。
大乗の菩薩(別教の菩薩)は、二空で主観と客観を空じ仏の空観へ意識が入ります。
そして法空を覚る事で第八識が「阿頼耶識」と変わります。
順に示すと次のように第八識はその呼び名が変ります。
析空で変化を見ることで第八識が「異熟識」となり、---(声聞の智慧)
体空で因果を観ることで第八識が「種子識」となり、---(縁覚の智慧)
法空で我と法を空じる事で第八識が「阿頼耶識」と変わります。---(菩薩の智慧)
この三乗の智慧が開かれてはじめて究極の仏の智慧が顕れます。
どこに顕れるのかと言いますと、
第八識に無為の法として「大円鏡智」として顕れます。
「大円鏡智」として開かれる第八識については後ほど詳しくお話しようと思います。
ここでは唯識の意見が分かれる有相・無相の問題を
まづは取り上げてお話を進めて行きたいと思います。
『成唯識論』第二講 へ続きます。
https://zawazawa.jp/bison/topic/33