説一切有部の等至の体系における静慮の重視 村上 明宏
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Majjihma-Nikāya(以下MN.)『聖求経(Ariya-pariyesana-suttanta)』にお
ける「アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタの伝承」では釈尊が無碍安穏の涅槃を求め、無所有処を実践成就しているアーラーラ・カーラーマのもとを訪れ、その無所有処を体験して捨て去ったと伝承される(44)。そして、無所有処を捨て去ったその後に、非想非非想処を実践成就しているウッダカ・ラーマプッタのもとを訪れ、その非想非非想処を体験して捨て去ったと伝承される(45)。無碍安穏の涅槃のためには、無所有処も非想非非想処も十分では無い、ということである。
ここで四無色定の中でも無所有処・非想非非想処についてのみ言及されているが、この二つに関しては四無色定の中でも上地とされているから、この無所有処と非想非非想処を否定的に見る見解は説一切有部が無色定より静慮を重視する根拠の一つであると推測される。
2-3.理由その⑶――第四静慮が「不動」とされることに由る――
MN.『聖求経』において、釈尊が無所有処・非想非非想処を捨て去ったその後、マガタ国を遊行し、ウルヴェーラーのセーナーニーガマに入って密林に坐り(46)、無碍安穏の涅槃に至ったとされる(47)。そこでは、無所有処・非想非非想処を厭って入った禅定において、生(jāti)・老(jarā)・病([P]byādhi,[S]vyādhi)・死(maran・a)・愁([P]soka,[S]㶄oka)・煩悩([P]san・kilesa,[S]sam・ kle㶄a)の過患(ādīnava)を知って、無碍安穏の涅槃に至ったとされる。そして「私の解脱は不動である(akuppā me vimutti)」という智([P]Jān・a,[S]jñāna)と見([P]dassana,[S]dar㶄ana)が生じたと説かれる。無所有処・非想非非想処を厭って入った禅定によって無碍安穏の涅槃を得たということである。そして、解脱智見に至って「不動(akopya)」であると認識したのである。
この「不動」に関しては、第四静慮も「不動(āneñjya)」であるとされる。しかし、その「不動」については「無碍安穏の涅槃を得た」という場合、ʻakopyaʼであり、「第四静慮の不動」は ʻāneñjyaʼ である。 第四静慮における ʻāneñjyaʼ の「不動」についてはAKBh.「世間品」において、次のように説かれる。
第四静慮は内災(ādhyātmika-apaks・āla)を離れたものである(rahitatva)から不動(āneñja)であると世尊によって説かれた(48)。(AKBh. p.190.23)
AKBh.「定品」においても、同様のことが次のように説かれる。
また、三つの静慮は動揺を伴う(sa-iñjita)と世尊によって説かれた。災患を伴う(sa-apaks・āla)からである。
しかし、八つの災患(apaks・āla)を手放したもの(muktatva)であるから、第四のもの(第四静慮)は不動(āniñja)である(49)。(11ab)(AKBh.p.441.10-12)
初静慮から第三静慮までは「動揺を伴う」けれど、第四静慮には八災患が無いから「不動(āniñja)」であると説かれる。この ʻāneñjyaʼ で示される第四静慮の「不動」は身・心ともに不動であることを意味すると考えられる。それは第四静慮において「不動」の語として用いられる ʻāneñjaʼ ʻ āniñjaʼ ʻāneñjyaʼ の語形について、AKV.では、次のように説明されるからである。不動(ānejya)とは、㲋ej-、震える(kampana)というこの語根(dhātu)より、ānejyaというこの[語]形である。しかし、āniñjya と誦すとき、㲋in・g- ‒という別の語源(prakr・ti)のこの[語]形であると見るべきである(50)。(AKV.p.344.3-5)