比丘たちよ、これら五蓋の捨断のため、四念処を修習するべきである。いかなる四か。
比丘たちよ、とある比丘が、身(kāye)について身を観ずる者となり、念、正知をそなえて世間(loka)における貪(abhijjhā)と憂(domanassaṃ)を除く。
受(Vedanā)について受を観ずる者となり、念、正知をそなえて...(以下同文)。
心(citta)について身体を観ずる者となり、念、正知をそなえて...(以下同文)。
法(dhamma)について法を観ずる者となり、念、正知をそなえて...(以下同文)。
比丘たちよ、五蓋を捨断するため、このように四念処を修習するべきである。
—パーリ仏典, 増支部九集, 念処経 Sāvatthinidānaṃ, Sri Lanka Tripitaka Project
https://ja.wikipedia.org/wiki/四念処
씘大智度論씙は씔四念処の実体は智慧である씕というように,有部と同じく씔念処=慧씕という解釈を挙げてい쑲썺る。
↓アビダルマにおける四念処
https://nbra.jp/publications/70/pdf/70_30.pdf
↓有部の四念住について(大智度論の説明あり)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/31/2/31_2_499/_pdf/-char/ja
色界第四禅について 池田 練太郎
http://echo-lab.ddo.jp/Libraries/印度学仏教学研究/印度學佛教學研究第40巻第2号/Vol.40 , No.2(1992)089池田 練太郎「色界第四禅について」.pdf
四念処(四念住)[基本修行科目(2)]
http://way-to-buddha.blogspot.com/2011/05/blog-post_3479.html
現在、日本でも広く知られるようになった、上座部仏教(南伝仏教)のヴィパッサナー瞑想(気づきの瞑想)は、四念処観の修行からきているものである。
四念処の瞑想を正しく教えている日本の仏教教団は存在しないように思われる。四念処については、上座部仏教の修行の一環であるヴィパッサナー瞑想から入るほうが体得しやすいかも知れない。
天台止観などの「止観」の「観」(観察する瞑想)も、もともとはこれからきている観法(瞑想法)である。禅宗の座禅、天台宗の止観、真言宗の観相や諸種の儀式次第なども、四念処との関係性は深いので修行の上での参考とできる。
四念処を正しく行うためには、色界の禅定である初禅(第一禅)には、到達している必要がある。
しかし四念処を行う中で、初禅(第一禅)には、自動的に到達するのである。
そいうことから四念処により、色界の禅定に達成することができ、色界の禅定との関係が深いといえる。
ニヤーカにおける修行道の相互関係 (重要!)
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/37059/files/ib005001.pdf
(プリント下部No.7)
如来は更にその彼を調御したまう。「来れ比丘よ、汝は身において身を繰り返し観察して住し、身に俱える尋を尋求すること勿れ。心において受を繰り返し観察して住し、心に俱える尋を尋求すること勿れ。法において法を繰り返し観察して住し、法に俱える尋を尋求すること勿れ。」彼は尋と伺との止息のために、内心静安となり、心一趣性あり、無尋無伺にして、定より生ずる喜と楽とある第二禅を・・・・・第三禅を・・・・・第四禅を具足して住する。
この経典によれば、四念処の修習と関係があり、四念処の修習によって三明などが得られることが分かる。