『ゆゆしき仏教大学』 https://talk.jp/boards/psy/1732820422
『ゆゆしき仏教大学』のホワイト・ボードとして活用して行きます。
楽しく仏教を学べる空間をクリエートして参ります。
先日、知恵袋お友達のzenさんから、
私は般若心経を引用して合理的に説明したに過ぎません。 反論があるなら法介さんは「あらゆるものに実体が無く、生じることもなければ滅することもない」けれど、それでも輪廻転生がある理由を合理的に説明して下さい。
と言われましたので、
この件についてその理由を合理的に説明して参ります。
zenさんは、このようにも申されておりました。
輪廻転生信者は業が輪廻転生を起こすと主張しています。しかし、業とは阿頼耶識に蓄積された潜在記憶です。潜在記憶がどういう原理で人を輪廻転生させるのかについても合理的に説明して下さいね。
本人に確認しますと、zenさんの主張は次の通りです。
般若心経に「あらゆるものには実体が無いから生じることも無ければ滅することもない」と書いてあるけれど輪廻転生はあることを法介さんの言葉で説明してくれたらそれでいいですよ。 阿頼耶識に蓄積された潜在記憶がどういう原理で人を輪廻転生させることができるのかについても説明してね。
なので『般若心経』と『唯識』と
二つのお話を今回はさせて頂きます。
では、まず
『般若心経』から始めます。
『般若心経』で多くの方が間違って認識しておられる大事な事がありまして、
まずは、その点から説明させて頂きます。
先日も、Talk 掲示板でお話したところなんですが、
zenさんはわたしが『般若心経』についてそこで語っていると知りながらも
読んでくれていなかったとの事で非常に残念に思っているのですが、
仕方がないのでここで同じ内容をzenさんの為に説明させて頂きます。
その前に一言、
zenさんに言わせてください。
zenさんは、只今お話した限りにおいても
出来事に対して、
ご自分できちんとそのつぶさな詳細を観察しようという姿勢が出来ておられないんですね。
一体、どのような坐禅修行を習得なされているのやら
と、正直あきれ返っております。
自信が知恵袋において回答なされた内容に対して
わたしが詳しくお話させていただいているにも関わらず、
それを全く読まれていなかったと、、、、、
一体仏道において
何を学ばれて来られましたか、、、
坐禅では、対象をつぶさに観察しなさいと
教わりませんでしたか?
もしかして
その言葉の意味すらも
ちゃんと理解出来ておられないのではないのでしょうか、、、
以前に、「パンを盗んだ男」のお話をしましたよね。
世間では犯罪者呼ばわりされてた男が、つぶさに詳細を調べてみたところ、実は子供想いの優しい父親であったと分かったお話です。
いかに我々凡夫は、出来事の詳細を知りもせず、勝手な決めつけと思い込みで対象を見ているか。
実体は無い!実体は無い!と、無い無い思想に侵されて、実体も無い対象の何をつぶさに観察するのですか?
とでも言いますか?
いい加減、その「有る無し」思想から抜け出られては如何ですか?
zenさんのように、「実体は無い」という考えに陥ってしまうと、このように対象の因果関係をきちんと把握しようという姿勢が完全に欠落してしまうものなんだなと、わたしは思う次第です。
なぜ、そのような現状に陥ってしまうのか、それが今からお話します内容です。
『般若心経』の「五蘊を皆空と照見す」の勘違い解釈のお話です。
zenさんも確か同じ事を言ってたと記憶しておりますが、「五蘊は無いんですよ!」と言われる人が良く居られます。Talk板の麦さんなんかもそういってたように記憶してます。
般若心経の「照見五蘊皆空」の前の句で何と言われているかzenさんは、ご存じでしょうか。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」
観音さまは智恵の完成の修行を極められ、それを行う時
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先日、知恵袋お友達のzenさんから、
私は般若心経を引用して合理的に説明したに過ぎません。
反論があるなら法介さんは「あらゆるものに実体が無く、生じることもなければ滅することもない」けれど、それでも輪廻転生がある理由を合理的に説明して下さい。
と言われましたので、
この件についてその理由を合理的に説明して参ります。
zenさんは、このようにも申されておりました。
輪廻転生信者は業が輪廻転生を起こすと主張しています。しかし、業とは阿頼耶識に蓄積された潜在記憶です。潜在記憶がどういう原理で人を輪廻転生させるのかについても合理的に説明して下さいね。
本人に確認しますと、zenさんの主張は次の通りです。
般若心経に「あらゆるものには実体が無いから生じることも無ければ滅することもない」と書いてあるけれど輪廻転生はあることを法介さんの言葉で説明してくれたらそれでいいですよ。
阿頼耶識に蓄積された潜在記憶がどういう原理で人を輪廻転生させることができるのかについても説明してね。
なので『般若心経』と『唯識』と
二つのお話を今回はさせて頂きます。
では、まず
『般若心経』から始めます。
『般若心経』で多くの方が間違って認識しておられる大事な事がありまして、
まずは、その点から説明させて頂きます。
先日も、Talk 掲示板でお話したところなんですが、
zenさんはわたしが『般若心経』についてそこで語っていると知りながらも
読んでくれていなかったとの事で非常に残念に思っているのですが、
仕方がないのでここで同じ内容をzenさんの為に説明させて頂きます。
その前に一言、
zenさんに言わせてください。
zenさんは、只今お話した限りにおいても
出来事に対して、
ご自分できちんとそのつぶさな詳細を観察しようという姿勢が出来ておられないんですね。
一体、どのような坐禅修行を習得なされているのやら
と、正直あきれ返っております。
自信が知恵袋において回答なされた内容に対して
わたしが詳しくお話させていただいているにも関わらず、
それを全く読まれていなかったと、、、、、
一体仏道において
何を学ばれて来られましたか、、、
坐禅では、対象をつぶさに観察しなさいと
教わりませんでしたか?
もしかして
その言葉の意味すらも
ちゃんと理解出来ておられないのではないのでしょうか、、、
以前に、「パンを盗んだ男」のお話をしましたよね。
世間では犯罪者呼ばわりされてた男が、つぶさに詳細を調べてみたところ、実は子供想いの優しい父親であったと分かったお話です。
いかに我々凡夫は、出来事の詳細を知りもせず、勝手な決めつけと思い込みで対象を見ているか。
実体は無い!実体は無い!と、無い無い思想に侵されて、実体も無い対象の何をつぶさに観察するのですか?
とでも言いますか?
いい加減、その「有る無し」思想から抜け出られては如何ですか?
zenさんのように、「実体は無い」という考えに陥ってしまうと、このように対象の因果関係をきちんと把握しようという姿勢が完全に欠落してしまうものなんだなと、わたしは思う次第です。
なぜ、そのような現状に陥ってしまうのか、それが今からお話します内容です。
『般若心経』の「五蘊を皆空と照見す」の勘違い解釈のお話です。
zenさんも確か同じ事を言ってたと記憶しておりますが、「五蘊は無いんですよ!」と言われる人が良く居られます。Talk板の麦さんなんかもそういってたように記憶してます。
般若心経の「照見五蘊皆空」の前の句で何と言われているかzenさんは、ご存じでしょうか。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」
観音さまは智恵の完成の修行を極められ、それを行う時