法介
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2024/11/19 (火) 08:48:45
『阿含経典』の中に等覚という用語が出てきますが、どういう意味で使われてますか?
『阿含経典』の中で「等覚」という用語は、大乗仏教の「菩薩の52位」における「等覚」とは異なる意味で使われています。阿含経典において「等覚」という言葉が出てくる場合、それは以下のような文脈で使用されています:
阿含経典における「等覚」の意味
阿含経では、「等覚(とうかく)」という用語は「悟り(覚り)が等しい」という意味で使われます。具体的には、釈迦牟尼仏の悟りが他の仏と等しいレベルであること、すなわち「仏としての悟りは平等であり差がない」という真理を指しています。
例えば、釈迦が悟りを開いた時、その悟りが過去の諸仏や未来の仏とも全く同じである、というような文脈で「等覚」という表現が出てきます。これは、仏教における悟りの本質が、個別の仏によって変わるものではなく、普遍的であるという教えを表現しています。
等覚と阿羅漢の違い
阿含経典では、主に個々の修行者が達成すべき目標として「阿羅漢」という位が説かれていますが、「等覚」はそれを超えた仏の悟りに関する概念として使われます。
つまり、「等覚」は阿含経の中で仏陀の悟りそのものを表し、修行者が直接目指すものではありません。
まとめ
阿含経典における「等覚」は、仏教の原始経典としての文脈の中で仏としての完全な悟りが平等であることを示しています。後の大乗仏教で整理される「菩薩の52位」における「等覚」(菩薩道の最終段階の一つ)とは全く異なる使用法です。この違いは、仏教の思想が進化し、多様な教義を展開したことを理解する上で興味深い点です。
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