大智度論で坐禅は説かれているのか?
『大智度論』(だいちどろん、Mahāprajñāpāramitā-śāstra)は、2世紀頃に著された大乗仏教の重要な論書で、般若波羅蜜(知恵の完成)を中心にさまざまな仏教教義を解説しています。この中で、坐禅(ざぜん)に該当する瞑想や集中法についても述べられていますが、禅宗の坐禅のような厳密な「座って行う禅」の形式を指すというより、広義の瞑想実践や心の静寂を追求する行法の一部として言及されています。
1. 座法としての瞑想
『大智度論』では、仏教修行の一環として「禅定」(サンスクリット語でdhyāna)が解説されています。これは、特定の姿勢や集中法を用いて心を静かにし、心の煩悩を取り除くための修行です。禅定の目的は、心を一つの対象に集中させることで智慧を高め、悟りに至るための基盤を築くことにあります。この点で、禅宗の坐禅と共通する部分が多く、精神集中や静寂の境地を目指す点で関連性があります。
2. 坐禅と四禅(しぜん)
『大智度論』はまた、インド仏教の「四禅(四つの瞑想段階)」についても詳述しています。四禅は、段階的に心を静めていく瞑想の方法で、特に以下の順に心を集中させて悟りへと至る道を説きます。
- 初禅: 喜びと快楽を伴い、五欲を離れた境地に入る。
- 二禅: 内的な喜びと静寂を強調し、思考を抑える。
- 三禅: 喜びも放棄し、平穏な幸福感を維持する。
- 四禅: 感覚を離れた無色界に入り、平等な静寂を得る。
この四禅の体系は、インドで発展した伝統的な瞑想法の一部であり、後に中国・日本に伝わって禅宗に影響を与えたと考えられています。『大智度論』の記述は、これらの禅定が座法を用いる瞑想の基盤であることを示していますが、禅宗のような特定の姿勢(結跏趺坐など)については具体的には言及されていません。
3. 般若波羅蜜との関連
『大智度論』の中心テーマである「般若波羅蜜」は、智慧を完成させることであり、この智慧は禅定を通して得られるものとされています。智恵を得るための心の修行(坐禅や瞑想)の一環として、禅定の重要性が繰り返し説かれています。ここでは、智慧を深めるために心を静め、物事の本質を観察するという禅定の目的が強調されています。これは、禅宗が坐禅を通じて「直感的な悟り」に至ろうとする意図と一致する部分があります。
4. 実践的な禅定と坐禅
『大智度論』で述べられる禅定や瞑想法は、広義の意味での坐禅に通じるものであり、現代の坐禅に含まれる精神的な統一、心の集中、無念無想といった要素を含んでいます。ただし、『大智度論』では、禅宗の実践で見られるような座法に厳密に基づく坐禅そのものの技術論や姿勢に関する詳細な説明は見られません。このため、禅定の方法が坐禅の基盤をなすものであるとはいえ、禅宗の坐禅が直接『大智度論』から来ているわけではなく、禅定の基礎が後世で坐禅へと発展したと考えられます。
まとめ
『大智度論』は、坐禅そのものというよりも、瞑想(禅定)を用いた智慧の追求方法を中心に解説しています。この教えは、後に中国や日本の禅宗の基礎的な思想に影響を与え、特に心を統一して悟りに至る手段としての坐禅へと発展していきました。