法介
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2024/11/11 (月) 11:15:30
心法を「有る無し」の二元論で説いてしまっているんですね。
無我は自分が無いんです、とか
自分は存在しないんです、といった「有る無し」で語っている仏教がそれにあたります。
そういった「有る無し」の理論は、所取の客体に於ける縁起(所縁)にのみ適応されるものであって、能縁側である主体は、客観(相分)と主観(見分)を踏まえた複雑な理論で成り立っております。
決して「有る無し」の二元論で語れるものではありません。
『成唯識論』ではその人の認識(客観と主観)を四つの縁起を用いて詳しく解き明かしておりま。
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