安慧が主張した一分説というのは、自証分だけがあって、相分も見分もないというもので、
初期唯識では「相分=所取」で「見分=能取」でもありますので、相分・見分・所取・能取の全てが無相となります。
この護法と安慧の主張の食い違いは、実は空に対する理解の違いが根底にあったのではないかと考えられます。
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安慧が主張した一分説というのは、自証分だけがあって、相分も見分もないというもので、
初期唯識では「相分=所取」で「見分=能取」でもありますので、相分・見分・所取・能取の全てが無相となります。
この護法と安慧の主張の食い違いは、実は空に対する理解の違いが根底にあったのではないかと考えられます。