仏道の『阿頼耶識システム』

『成唯識論』第一講 / 2

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法介 2024/10/11 (金) 17:09:57

 唯識における「識転変」について、安慧(スティラマティ)の注釈によれば、「転変」とは、「変化すること」と解説される。すなわち、原因となるある刹那が消滅し、と同時にその刹那とは別の刹那が、形を変えて、新たな結果として生起することである。

 今ここに、一個のりんごがあるとする。このりんごは、その場所に、形を変えずに存在しているように思われるが、数日もたてば、水分が飛び、しなびて、ゆくゆくは腐ってしまう、これは、りんごが一瞬一瞬、刹那滅を繰り返し、徐々に形を変えていっているからに他ならない。

 唯識では、そのりんごは、実際そこに存在するのではなく、我々の心の中に現れ出ているものに過ぎないと考える。

 実際、目の前にあるりんごを、それを見ている者達がみな同じ色、形として認識しているとは限らないし、同じにおいがしているとも限らないのである。この道理こそが、世親の説く「識の転変」と言われるものである。

しかし、玄奘は>> 1を漢文にする際、このパリナーマ(転変)なる語に「所変」・「能変」という二種類の語を使い分けている。この点に関しては、専門家においても意見の分かれるところとなっている。

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