仏道の『阿頼耶識システム』

『成唯識論』第一講 / 19

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法介 2024/10/12 (土) 12:38:56 修正

種子説の研究 近藤 伸介

https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/HB/A085/HBA0851L001.pdf

異熟生には二つの意味があり、一つ目は「異熟という性質によって」、つまり異熟という過程を経て生じるが故に異熟生と呼ばれ、二つ目は異熟=アーラヤ識から生じるが故に異熟生と呼ばれる。この二つ目はでも説かれていたが、一つ目はアーラヤ識あるいは種子から果が生じる「過程」を異熟と名づけている。そして『成唯識論』になると、より明確に、異熟がアーラヤ識と現行識の間に生じる「変化の過程」であると語られることになる。

 ~省略~

アーラヤ識から現行識が生じること、及び現行識からアーラヤ識が生じることが異熟果であると述べられている。これに従えば、アーラヤ識と現行識は互いにとって、それぞれ異熟因であり、異熟果であることになる。すなわちアーラヤ識と現行識は相互に因となり果となる関係にありながら、互いに異質であるため、両者の間の変化は必ず異熟とされなければならない。これが唯識における異熟の意味するところである。そのことは、『成唯識論』の次の箇所からも明らかである。

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