仏道の『阿頼耶識システム』

「善」と「不善」と「有覆無記」と「無覆無記」 / 60

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法介 2024/10/09 (水) 08:33:16

阿頼耶識をば、断と為すや、常と為すや。断にも非ず、常にも非ず。恒に転ずるを以ての故なり。恒というは、謂く、此の識は、無始の時より来た、一類(無記)に相続して常に間断すること無し。是れ(三)界と(五)道・(四)生とを施設する本なるが故に、性は堅にして、種子を持して失せざらしむが故に。
転というは、謂く、此の識は、無始の時より来た、念念に生滅して前後変異す。因滅すれば果生ずるを以て、常・一に非ざるが故に。転識の為に種子を熏成する可きが故に。
恒と言うのは断を遮し、転というは、常に非ざるを表す。猶お、暴流の如く、因果法爾なり。暴流の水の、断にも非ず、恒にも非ずして相続して長時に漂し、溺する所ろ有るが如し。此の識も亦爾なり。無始より来た、生滅し相続して、常に非ず、断にも非ずして、有情を漂・溺して出離せざらしむ。

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